共同実践「ほんと?うそ?ごっこの取り組み」
「天狗は自然の味方」
-仲間と協力・共同の気持、自然環境の大事さををつかむ-
 
−わしら同志会の体育実践−  


1.はじめに
 短期大学時代私の所属していたゼミでは、子どものからだの育ちに焦点を絞っての研究を行ってきた。その中で、子どものからだの育ちを促進する遊びやおもちゃに着目し、様々なおもちゃ類を作成してきた。出来上がったおもちゃは、附属幼稚園を始め、近隣の保育所などにプレゼントし、実際に遊んで貰った。
 一年目の終わり頃から二年目の初めにかけて、数回の実習を経て保育の基礎を身につけ始めた頃「実際に現場で働く前に、どこかの保育所の先生方と共同して実践してみたい」という話になり、早速実践できる保育所探しと並行しながら、この実践の中心となる「鼻緒つき天狗下駄」を作り始めた。実践の構想や計画も出来上がり、下駄もほぼ出来上がってきても、共同実践先がなかなか決まらなかった。10月末頃にやっと待ちこがれていた相手先の園が、一転二転した後アトム共同保育園に決定した。
 人口約4万2千人の熊取町(大阪府南部の端)にある。かつては農業と繊維産業の町だったが、94年に関西国際空港が開設され、運輸省や関連企業に勤める人々が居住する後背住宅地となった。緑豊かな丘陵地帯に京都大学原子炉実験所が設置されたのは67年のこと。アトムは元々そこで働く研究者や職員のための職場保育所としてスタートした。その後、熊取町一帯の宅地開発が進み、大阪のベットタウン化が進んでいき、2003年に認可園として誕生した。
 このアトム保育園の五歳児クラス(みかん組男子二十四名、女子十三名)を対象にさせて貰った。この37名のうち、町立保育所からの転園組が31名も占めている。共同実践の申し入れをおこなった時、園長先生は、「子ども達の多くが、外遊びを中心とした屋外での活動の経験不足なのか、今までのアトムでは考えられないほど怪我が多い。そこで、保育の中身をより意図的に計画していかないといけないと考え始めていた頃。だからこの取り組みが願ってもない計画です」そんな期待をされての取り組みがスタートした。

2.取り組みの概要
 「忍者にであった子どもたち」加用文男著ミネルヴァ書房に、ゼミの先生が出逢い感動し面白いと感じたのが始まりだった。加用氏は、京都教育大学の助教授で発達心理学が専門の先生。詳しい中身については、実際に目を通してほしいのだが、概要は大人が子どもたちに仕掛けていく、「うそなんだけど、ほんと?」といったあそびの世界での子どもたちの姿と、その実践等に対しての分析が書かれている。
 それらを元にした共同実践の構想の概要と、取り組みの経過は以下のようになった。

3.取り組みの様子
11月4日(火)大学祭の代休だったので、この日に初めてみかん組の子ども達に会い、天狗下駄をプレゼントした。
 2グループに分けマンツーマンで遊んだ。私たちの予想以上に、子ども達は天狗下駄に苦労せず乗っていた。中にはバランスがとれずふらふらしていた子どももいたが、私たちが「1.2、1.2… 」というかけ声でリズムを取ると、少しずつ上手になっていった。
 次の訪問の時は、希望者だけで「手作り絵本」を持参した。もちろん、絵本は誰が作ったと言うことも子ども達には秘密。そのため主任先生に手渡し、後日読み書きかせて頂けて貰うように依頼した。絵本は画用紙で作りパウチした後、屏風畳みにした物で、形状も目新しい物だったのでかなり興味を引いたよう。先生が読み聞かせをした後、子ども達は床に広げ、みんなが腹這いになって横にならぶようにして見ていたとのことでした。しかし、この時点ではこちらが予想していたのとは違い、天狗下駄と絵本はあまり結びついてなかったとのこと。
その次の訪問で、天狗どんからの手紙を仕掛け、できればその時の音声を、隠し撮りして貰えるよう機材も含め渡しお願いした。手紙を見付けた子ども達は大騒ぎ。「大人に見せてはいけない」という天狗の言いつけを守るため、必死で大人を近づけない見張り役の子ども達。「それなら、静かに見ることのできる夜間保育室に行くよう」仕向けて貰った子ども達は、子ども達だけの空間で何か秘め事を、しているという不思議な興奮に包まれているよう。ICレコーダーから聞こえてくる子ども達の声は、たどたどしく読む声より、夜間室の外で、大人を近づけない努力をしている子どもの「あかーんはいったらあかーん!きたらあかーん!」という声の方が大きく、どれだけ読めているのかが掴みきれなかったのが計算外だった。手紙を読み終えた後、先生が「なんて書いてあったん?」と水を向けると「教えたろか」という子もいたが「あかん!教えたらあかんのや!」という子どもが大多数だったようでした。どこまで、理解できているのかはわからないけれど、この手紙によって、天狗下駄、絵本が繋がったようだった。その後、天狗下駄を持ち園庭に出て、空に向かい「天狗さーん出てきてー!」と何度も叫んでいる声や、「隠れみの着てるから見えへんのや」という声が聞こえ、子ども達の中に『天狗がいるかもしれない…』という気持ちが芽生え、空想の世界に入り込んでいく様子が手に取るようにわかった。ここで初めて、天狗下駄、絵本、手紙の3つの繋がりによって、ほんと?うそ?ごっこの扉を開けたことになった。天狗下駄をプレゼントした当初は、乗れるまでは練習し遊んでいたけど、乗れるようになってからは、あまり興味を示さなかったようでした。しかし、手紙が来てから天狗下駄との繋がりができ、再び天狗下駄に興味を持ち始めたようでした。
 2回目の天狗どんからの手紙を終了した時点で、年末の慌ただしさもあり、継続した取り組みができなかった。しかし、5歳児では字を読める子どもはいるものの、全員が読めるわけでもないし、たどたどしく読むレベルでは中身の理解に繋がりきれてない気がしていた。それは、天狗どんからの指令がきっちりとやれていないと言うことから判断できた。冬休みを挟んで仕切直しということで、打ち合わせを行った。手紙の形式を変えて、天狗どんの声でのメッセージテープに切り替えることにした。それと、子どもだけでどれだけイメージを深めていけるかを見たいという構想であったが、やはりこの年代の子どもだけでは難しいということから、先生方と相談の上、先生方に大きく揺さぶりをかけて貰うことにした。それらは功を奏し、それまでの子ども達の姿とは大きく変わった。
実践打ち合わせ FAXと電話で行う。
天狗下駄プレゼント 全員参加(ミルクムナリ披露も)
手作り絵本手渡し 希望者のみで参加。
絵本読み聞かせ 主任先生が実施。
1回目の手紙 下駄、絵本、天狗が繋がる。
天狗探し散歩 怖い物見たさ?
2回目の手紙 手紙を仕掛ける。
実践打ち合わせ 間が開いてしまったので。しきり直し。
天狗探し散歩 記憶を呼び起こす。
10 3回目の手紙 リアリティが一気に増す。
11 天狗の形跡仕掛 先生に依頼。
12 天狗探し散歩 さらにリアルな想像力に。
13 4回目の手紙 天狗からの指令を受ける。
14 指令実行散歩 天狗からの指令を守れる?
15 天狗からのプレゼント 天狗下駄キーホルダーが届く。

4.最終の取り組み
 2月6日(金)に共同実践のまとめとして、ゼミ生全員でアトム共同保育園にき、子どもたちと散歩に行った。子どもたちは、この散歩で天狗との約束を果たすことができるか?その時の子どもたちの様子を観察することが目的だった。
 散歩中子どもたちに「今から何しに行くん?」と聞くと「それ内緒やねん」と言い、「なんで内緒なん?」「約束してるから」と。そんな会話を前の子が聞いていたようで「○○言ったらあかんで!」これでしっかりと口を閉じてしまい、なかなかガードは堅い。それでも時間をかけてしつこく聞いていると、内緒やけどなぁ、天狗どんと約束してんねん。天狗どんて怖いけど、本当はいい人やねん」と話し始めた。「何でいい人なん?」「自然を守ってるから」などの会話を聞きつけた前の子が「あかんのにー!ゆうたらあかんねんでー!」と、その言葉を聞いて『やっぱおこられた…』としょんぼり。後で、ゼミ生に聞いてみるとあちらこちらで同じようなことがあったようでした。天狗との約束や子ども同士の「言ったら大変なことになる」というルールに縛られながら、『言いたいけど、言えない』という子どもの気持ちが揺れている様子が伺えた。
園の周りの町並みを抜け目的の山が見えてきた、この辺りは、何度かの天狗探しの散歩の中で、「どうやらこの辺りに天狗がいるらしい」と考えながらきていたところで、天狗の形跡を見付け決定的と子どもたちが断定した場所でだった。その先々で「これにらなんやけどなぁ、天狗どん食べてるねん。おれ食べられるでぇ、食べたろかぁ」と野草ののびるを食べ出す。「田圃や畑に入ったら天狗どんに叱られる」とか、「おじゃましまーす!」と言って山に向かう子がいたり。今までの散歩の中で、そんなこともみんなで言いあい、イメージを膨らませてきたのだろうということがわかった。また、「この前、あそこの木に天狗どんの下駄置いてあった」「隠れみのはあっちにあった」とガードがどんどん緩くなっていく様は興味深かった。あちこちにドングリも落ちていて、見つけた子の声を聞き、『ドングリひらうの忘れとった』といったような感じで慌てて皆探しだした。 ほぼみんな拾い終わった頃に、公園に向かった。公園の土は硬く、持参した砂場用のスコップではなかなか大変そうだったが、どの子も一生懸命に埋めだした。自分の埋めた所に、目印の石を置いたり「ちゃんと芽出るかなぁ」と言いながらの子もいた。そんな周りに、『そんなこと知ったことかぁ』とでも言いたげに他の遊びをしている子も数人いることに気づいた。『たぶん埋めてないな、あの子ら。この話に乗り切れてないんかな?』そんな風に思っていた。
 だいたいの子が埋め終わった頃、先生がみんなを集めて声を潜めて語り始めた。「みんな埋めたかなぁ、天狗どんの約束守れたかなぁ。守れてない子おったら、先生いややでぇ、天狗どんに怒られるの嫌やもんなぁ」と。先生も周りで遊んでいた子のことが気になったようだった。「○○埋めたか?」に「うん俺とっくに埋めた!」と言い放った。その子の担当だったゼミ生に聞くと「さっと埋めてたよ」と聞き、「へぇーそうやったんや」と思った。その一方で先生の話を聞き、ぼそっと「おれ埋めてへんねん」といった子がいた。その子はドングリ探しの時、誰かが見つけたという声を聞いて移動した時には、もう無い。大人にはその辺りにはもう無いのがわかるので、「他の所探そう」と誘っても意地はって「ここにあるはずや!」と山の地面を深く掘ることに熱中していた。その子の気持ちを大事にしながらも、他で拾ったドングリを「ここにあったで」と渡そうとしても「おれ自分で探す」といって受け取らなかった。で、結局ドングリを拾えず、みんなの埋めるのを手伝って穴を掘ってたけど、自分では埋めてないらしい。そこで、ゼミ生が持っていたドングリを渡し「今からでもおそないから埋めとこうか」と言ってもらって埋めることができた。その後のほっとしたような表情が印象的だった。
天狗との約束を果たして園に戻り、園庭で先生がお話をしているところに、事務所の先生が「みんなが散歩に行ってる間に、こんなんが玄関にあったよ。」って届けてくれて子どもたちの顔つきが変わった。「色めき立った」と言う表現がぴったり。ドングリを埋めていた時も、あまり乗ってなかったような子どもも、それまでは先生の話の途中も後ろの方で遊んでいたのに、別人のようにみんなの輪の中に入っていた。先生が手紙を読み出し、子どもたちは聞き漏らさないように真剣に聞いていた。そして、手紙の中の天狗どんからの約束の部分を強調しつつ、「みんなできるよなぁ。それじゃあ天狗どんからのプレゼント渡すよ」目をきらきらさせながら、天狗どんからのプレゼントを受け取っていた。

5.共同実践を終えて
 色んな経過の中で、子どもたちは大人が仕掛けた「うそ」の世界をだんだん「ほんとかな?」と信じだしていく中で、「うそ?ほんと?」の世界に入っていく様子があった。その姿は、加用先生の著作「忍者にであった子どもたち」の中で述べていらっしゃる『「ほんと?」から始まって、続いて本気で信じるに至ったそのとたんに、それが身近な存在になり、現実味を帯びてきて、自分達の生活と結びつけて考え始めるのです。』そのままの姿と重なった。現在の私たちでは、「だからなんなの?」と言われれば、正直「??」と言うしか今はできない。話を切り出された時、即座に「それおもしろそう!」と私たちは食いついた。そして、私たちが今回取り組んできた実際を通して、子どもたちや保育者も私たちも掛け値なく「わくわくどきどき楽しかった」はず。そう思えた。それだけでも意義があるのじゃないか?そう思った。又、子どもたちが、天狗どんとの約束を守るために、一生懸命だったりする姿を通して、いくつかの大事なことを学んでくれたのではないかと思えるし、私たちも沢山のことを学ばせて貰った。卒業後私たちはそれぞれのところで、色んな立場になっていくわけだが、保育士や幼稚園教諭として働いていく中で、「今度は担任として実践に取り組んでみたい」という強い気持ちを持った。そうすればもっと違う角度から色んなことを学んでいけるのではないか。そう思った。

実践へのコメント 

1.はじめに
 私の専門ゼミは「幼児体育ゼミ」という名称で、幼児期の子どもの身体の発達二着目した研究がメインテーマである。そして、幼児期のからだの育ちを促進するためにふさわしい遊具やおもちゃが不可欠である。それなら、保育士や幼稚園教諭を目指す、ものは男女問わず、電動工具を使えた方がいいに決まっている。やや強引だが、製作活動を中心に据えての活動である。
 多少汚れても平気でいられるように、色とりどりのつなぎ服がゼミの制服(?)学内では羨望のまなざしで見られることも多く、これが着たくてゼミを希望する不とどき者(?)もいる。毎年色んな物を作り、近隣の保育所や幼稚園に寄贈し、喜ばれているし、実際に子どもたちと、その遊具で関わらせて貰える経験も有り難い。画一的になりがちな履歴書も、「ゼミの学生は、ポイント高いですよ」と誉めても貰える。そんなゼミ活動は、大変だけどやりがいはあるし、十分な手応えを感じている。しかし、からだを使ってばかりのゼミじゃなく、『研究活動もさせてやりたい』と、心密かに思っていた。『でもなあ〜ゼミらしい研究活動じゃなきゃなあ〜』と半分諦めていた。

2.本との出逢い
 そんな時、ひょんなことから大学図書館でであったのが、「忍者にであった子どもたち」加用文男著ミネルヴァ書房であった。本棚の前でタイトルに目を引かれ手にとってパラパラめくった瞬間、体中を稲妻が走った。私は三重県の田舎育ちで、子どもの頃は『山や海、川や沼など自然の中で年上や年下の子ども集団の中で遊びきっていた。毎日が楽しくて、山の中で洞窟を見つけてはわくわくしながら、過去に思いをはせ、空想の世界に浸り、ごっこ遊びに没頭していた。そんな楽しい思い出は忘れられない。現在では、田舎でもそんなあそびをするまもなく忙しい子どもたちでしようが、大事な物が沢山あったと実感している私にとって、今の子どもたちの育ち、将来が心配になったりする。昔が全ていいというわけでもなく、懐古主義的な子ども世界の創出が難しいのなら、イベント的であってもそれに近い体験が出来れば、少しは子どもたちの豊かな「学び」が「遊び」を通してつかめるのじやないか?そう思いながら、わくわくしつつ一気に読んだ本です。』本の内容と、私の子どもの頃と比較を通して、こんな風に考えた。そして、私のゼミでの活動と関連させられないかと考えた、実践の構想の概要は以下のようになった。

3.取り組みの構想
題材 「天狗は自然の味方」
ねらいー仲間と協力・共同の気持ち、自然環境の大事さををつかむー
手だて
@鼻緒付き天狗下駄を作成しプレゼントし 園児とふれ合う(顔見知りになる)
Aゼミ生で作った手作り絵本を読み聞かせする。ゼミ生でなく、担任の先生に後日読んでもらう。絵本の題材は「天狗」である。

・天狗は天狗下駄を履いていること。
・ヤツデのうちわや隠れ蓑を持っていること。
・普段は隠れ蓑を着ていて、姿は誰にも見えないこと。
・怖そうな顔をしているけど、本当はやさしいこと。
・自然を守るために、誰にもわからないように頑張っていること。
・自然を守ることはとても大事なこと。
 以上のようなことを、絵本を通し子どもたちに事前にわかってもらう。
B絵本の中の天狗と、自分たちの遊んで いる天狗下駄が関連づけられる。
C天狗から手紙が届き、子どもたちが見つける。手紙は、ヤツデの葉っぱで出来ている。園庭にそっとおいておく。それをクラスの子どもたちが園庭で見つける。先生は後から遅れて出る。手紙とは知らないけど、今までの仕掛けで興味を引くはず。誰かが拾い、みんなが集まる。そのヤツデをよく見ると手紙だった。

 以上のようなことを、何度か同じような手紙やメッセージ暗号などで伝えていく。どんどん子どもたちは「これってほんと?うそ?」という世界にはまっていく。
Dみんなが上手になるように、今まで以上に応援しながら熱中する。
Eみんなが出来た頃を見計らって、正式な依頼の手紙が天狗から届く。天狗下駄を作ってくれた、ゼミ生の大学に遊びに招待されることも天狗は知っている。天狗が今一番心配している小山田の山が大学のある所だと言うこと。そして、信頼できる子どもに育ってくれたのだから、しっかりと仕事をこなしてほしいと言うこと。大人にはわからないように。ただし、ゼミ生はまだ大人になりかけの人で、その中でも○○色の服を着た人にだけは、困ったときに相談してもいいよと言うこと。などを伝える。
F大学にきてゼミ生たちと遊ぶ。遊んでいる間に、天狗の実在証拠をいくつか発見する。遊びに熱中しながら、天狗との約束を果たそうとしだす。1人一個のドングリを、大人にわからないように埋める。
G後日約束を果たした子どもの元に、天狗からお礼の手紙と、プレゼントが届く。

4.共同実践探し
 附属幼稚園、別系列法人だが提携の保育園、卒業生の働く幼稚園と依頼してはことわられを繰り返し3園に依頼した。「一クラスだけの取り組みは困る」「日常の保育が、忙しい中では無理」等々。延長の安請け合いで、クラスの担任の先生に下ろすのが遅く駄目になった。と言ったこともあったので、春先からあちこち話は回したものの、最終的にアトム保育園に落ち着いた。4園目のことだった。もう秋で、構想の中身上、間をすっ飛ばしても、タイムリミットぎりぎりの時期での決定だった。こんなに苦労するとは思わなかった。
 
5.共同実践を終えて
 この後、ゼミ生たちで話をしていると「私たちが小さい時にも、こういった実践して欲しかったなぁ」「子どもの心に残ると嬉しいね」「そうやなーそんなことがあったら天狗の存在を今でも信じたかもなー」など。様々な意見が聞かれた。その中で、特に「自分達が担任だったら、もっと色んな子どもの変化や成長が見られたかもなぁ。その辺は本当のところどうやったのかな?」と言った意見が多く聞かれたので、園の先生に「共同実践に取り組んでみて」と言った形で、お手紙(後に掲載)を依頼した。
「アトム共同保育園の先生よりのお手紙」

6.考察にかえて
 加用先生の推奨する「うそ?ほんと?ごっこ」は、保育や教育の現場では、否定的な意見も含め様々な見解があると言われているらしい。今回の共同実践は、私のひょんな思いつきから始まったわけでだが、話を切り出したのだが、学生達は本当にいい経験・いい学びができたと思う。
 ただ、私自身の見通しの甘さなどから、今回の取り組みの反省点もいくつかある。@「うそ?ほんと?ごっこ」に絡めて、幼児体育ゼミらしく天狗下駄に繋げようとした。しかし、5歳児クラスの課題からすると少し簡単すぎて、子どもたちが興味を持ち続けて遊びを膨らませることができなかった。
A「唐突に始まった」という感が否めず、担任の先生との打ち合わせが、その場しのぎのレベルでしか行えなかった。そのため多大なる迷惑をおかけしたのではないかということ。
B天狗どんの手紙は、5歳児では字は読めても、中身の把握に至るにはほど遠いということが、見えてなかったことを含めて、見通しが甘かったこと。
C上のBとも関わるが、「大人が関わらず、子どもたちだけでどれだけイメージを膨らませていけるのか?」と言うことが、少し難しかったこと。
 など、まだまだ未熟でした。今後の教育の中で、生かせていきたいと思う。私があの本に出会わなかったら今回の共同実践はやってないと思うが、私もまだまだ幼児教育の世界はかけ出しで勉強不足の所は大いにある。でも、そんな新米だからこそ、世間の評価を気にせず取り組めたのかもしれない。みんなに話を持ちかけた時に「なんかおもしろそう!」ときらきらした目を見た時『私が抱いた感覚と同じに違いない。もうやるっきゃない!』と思った。簡単にはいかなかったし、大変だったことも山ほどあった。でも今、はっきり言えるのは「やって良かった!」ということ。また、「これはおもしろい!」という遊び心を忘れない保育者で居続けて欲しいということ。今回の共同実践は、まだまだ分析を含めて未熟な取り組みでないと思うが、もっともっと私自身も学びを深めていきたいと思う。

【例会のまとめ】
 幼年体育プロジェクトの初めての実践報告。大学のゼミが熊取町のアトム共同保育園の協力を得て行った共同実践。天狗に関する様々なしかけを「うそなんだけど、もしかしたらほんとかも?」と子どもたちが思いながら、ごっこ遊びの世界に浸っていった。天狗からの手紙に触発された子どもたちが天狗下駄で遊ぶ。天狗下駄という教材から姿勢制御の力をつけさせたいというのがメインのねらいだったが、五歳児には天狗下駄に案外簡単に乗れてしまったことや保育園との意思疎通が不十分だったこともあり、もうひとつのねらい「自然を大切にする」ということがメインになっていった。
 発達の視点からこの実践を見るとどうなのかについて田中昌人氏の発達論と照らし合わせて実践記録を読んでいくと「ほんと?うそごっこ?」がこの時期の子どもたちの発達にぴったり合った活動であることがわかる。「子どもの発達と診断5幼児期V」(田中昌人著・大月書店)によると5・6才児の特徴として「生活時間の変化と第3世界の充実」「遊びの中で役割とルールと考えることを学び始める」「遊びの中で蓄えた力と仲間関係をもとに家庭・保育園以外の第3の世界を持ち始める」「第3の世界で初めて自分でやってみること、がまんすること、かりること、やくそくすることを体験し、自制心が鍛えられながら自分の家や自分たちのクラスがわかりできるようになる。」この大切な第3世界が貧しくなっているのが現実であるとも書かれている。「ほんと?うそごっこ?」は第3世界を意図的に作り出している実践ではないだろうか。「5歳半から1年ぐらいかけて生後第三の新しい発達の力が育つ」その新しい力とは「理をしりそめていく力」(表面だけでなくもうひとつ深いところ、例えば傘が干してあるのを見てここには女の人がいるとか洗濯物を見てここには子どもがいるというように、直接見なくても手がかりだけでもう一つ深いところが読めるようになっていく。)天狗からのメッセージを手がかりに子どもたちが自分たちで考えていく活動は「五歳半ごろから学習によって人間の神経の働きを太らせ力強くしていく」活動になっていると思った。田中氏は「発達は充実して他者とつながり新しい価値を創り出すこと」と書いている。ヴィゴツキーも就学前期の発達は「発達の最近接領域の理論」(三学出版)の中で「子どもの大人との交流の発達」「子どもが自分で知識に働きかけ、子ども自身のプログラムでなければならない」ということを指摘している。子ども自身のプログラムになるには子ども達は大人との交流が欠かせないこともこの実践で最初子どもたちだけで手紙を読むことにしたがうまくいかず、「先生方に大きく揺さぶりをかけてもらう」ことで子どもたちがごっこ遊びの世界に引き込まれて行ったことからわかる。そしてごっこ遊びの中で「自分の中の自発的な力で自らを上に育てて」(田中氏)いる。
 討議で田村さんが「ごっこでもこわいごっこはだめ。(オオカミ、お化けなど。)守ってもらう存在を想像できるごっこ、いややとかできないとかという自分の弱さや素朴な思いも出せるところにすることが大事。」と具体的に田村さんがされた「魔女姉さん」ごっこの話を聞かせてもらった。子どもの声・つぶやきをいかに聞き取るのか、失敗しても大丈夫、誰かが聞いてくれる(今回の場合は天狗が見てくれている)という安心感、文化的価値を教えることなどごっこ遊びのよさが整理された。
 実践分析者の飛田さんから提起された“心の逃がしどころ”もキーワードになった。現実とは違う世界で遊ぶことの楽しさはスポーツも同じ。生まれた子どもに、生きていく為に現状の認識をするように働きかけていくがその力をふっとゆるめてあげる、ゆらしてあげると快いと感じる感性はいくつになっても必要だ。抵抗なく出たり入ったりできる心の世界を行き来しながら子どもが様々なことを身に付けていき、うまくできるようになると人づきあいが変わる。見立てごっこ・うそほんとうごっこをどんどんしていってほしいと話された。

【参加者の感想から】

☆「ごっこあそび」の究極「うそ・ほんとの世界」は、
・子どもたちのイメージの共有・子どもたちが自ら「できたい」「やりたい」と思える・子どもたちの「つぶやき」が聞こえる(聞くことができる)・子どもたちどうしをつなぐ→技術の教え 合いができる
 このことから考えて、大人と子どもをつなぐ何を教えるのか(何が「教える中身」として適しているのか) どのように教えるのか(こまかなステップ)の研究を深めていくのにも役立つ、とまだまだあるだろうけど、研究を進めていく可能性が広がってる。そんな理由で、幼年プロがこれから研究していく中身がぐっと分厚くなったということで、S先生の実践は大きな第一歩として非常に意味があると思う。なんやかんや言っても「やってみたい」と思う動機を持つことが重要でその意味で竹内さんはエライと思う。もちろん染矢さんも。次はその動機の意義付けを大切にしてほしい(自分も同じ)。

☆「目標に向かって一直線ではなくて、子ども(や親、教師も含めた)の心の逃がしどころを持ちつつ、目標に到達させうる段階(系統、スモールステップ)を教師はしっかり準備する」これがだいじなんだ!

☆加用先生の実践に心を動かされた竹内先生。1年がかりで1つの冒険を体験していくというグローバルな面白さにひかれたのだなぁと竹内さんの話を聞いてわかってきました。それが成功しているのはやはり小学校高学年をも含んだ異年齢集団だったからという気もするんですが、その面白さをもう少し追求してみることは必要かも。今までの、ごっこ遊びとは違う面白さをきっと竹内さんは感じたと思うので、「うそ?ほんと?ごっこ」をもっと、教材研究の裏付けをしっかりともった形で再挑戦してみてください。

☆子どもたちに、天狗下駄で「何をしたいのか」を問いかけるような手紙にしたら、もっと天狗下駄で広がっていったように思う。もっと、むずかしい、やってみたいことを追求することで教え合いも広がっていくように思った。ごっこ遊びの良い点をある程度整理できて少しすっきりした感じである。

☆今回の報告で、5歳児のおかれている心理状況、社会状況などについて触れる発言が多く、それだけたいへんな時代ということだろう。「できないこともみとめる」心のゆとりが教える側にも学ぶ側にも必要だが、中川さんが言われたように「できなくてもいいじゃないか」で、終わってしまうのは危険。「どうすればできるか」「できないのはなぜか」を教師は知っておく必要がある。でも、また、それを自分(教師)のエネルギーだけで指導するのではなく、子どもの主体的な学びを引き出す暖かく、静かなエネルギーとして、持っていたいものである。

☆「こころの逃がしどころ」という言葉がひっかかったし、印象に残しておきたいと思った。ねらいを持ち、教材を用意する時に同時に「逃げ道」となるものを用意しておく。これからはそこまで考えて授業を考えていかなければならないと思った。それと「ねらい」が漠然としすぎている(自分も含め)。例えば「姿勢制御」といってもこの時期、この単元、教材でねらう「姿勢制御」とは何か?がもっと具体的に語られる必要があるだろう(もちろんそのための手だても)。それが「こころの逃がしどころ」までも考えた実践をつくっていく「こころのゆとり」にもつながるだろう。


                            

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