「1年生の水泳を異質協同のグループ学習で」 ーわしら同志会の体育実践
ー遊んでいる子も巻き込んでー


1.はじめに
 こんな授業でいいのか。いつも否定的な思いが付きまとう。しかし、なかなか授業は変わらないし変えられない。教科内容研究の方は、狭い範囲だが、それなりに続けられている。しかし、異質協同のグループ学習は、行き詰まっている。前回の例会で、各自の実践をどんな視点でまとめるか話し合ったときも、1分に説明できなかった。そもそも私自身、グループ学習の到達イメージを持てないことが、授業から課題を見つけ前進させることができずにいる原因かもしれない。昨年度の実践報告会で、「実践をまとめるときに、自分なりの分析方法を持たなければならない」と指摘された。今回はそれに挑戦した実践記録である。

2.実践対象の子どもたちと水泳までの授業
 子どもたちは、2004年度入学の一年生、31名(女16名15名)で、学年1クラスの単学級である。
 1、2年生の担当が4回目となり、低学年の子どもたちの様子もある程度掴めてきたつもりだ。もちろん、毎年クラスのカラーは違うし、親の雰囲気も違う。年々、自分の苦手なことには、挑戦しようとしない子どもが増えてきているように思えたが、今年の子どもたちは違っていた。問題を抱えている子は何人もいるが、もめ事は少なく、みんなで遊んでも心から楽しんで終わることができるクラスである。
 4・5月は、ジャングルジムをした。限られた練習場所なので、名前の順の4人グループで練習した。2年前、「布団干し」のできない子が多く、就学前の鉄棒経験の少なさを感じていたので、簡単な技から始めていった。グループ学習の目標は、「順番を守って練習できること、友だちの練習を見ること」だった。たつや君とまさお君とりょう君以外は、ほとんど問題なく練習が進んでいるように見えた。ただ、友だちの練習を見ることについては、3人が一緒に見るのは難しく、その場から離れてしまう子や、そばにいても見ていない子がいた。たつや君たち3人は、友だちの練習を見ることができず、自分ばかりが練習し、グループからの苦情も多かった。
「布団干し」「前回り」は、10人できなかったが、泣き出すこともなく一生懸命友だちと練習していた。ここでは、教え合いと言うよりは、見ている子が手伝うことが多かった。10人のうち4人は、私の助けがないとできなかったが、次第に自分たちでできるようになっていった。
途中で、グループごとに出来具合を発表させた。その時、ゆうこさんが全くできないと分かった。グループでどうしていたのかと聞くと「やりって言ってもゆうちゃんやれへんねん」と言う。ゆうこさんは、クラス一のやんちゃ娘で、すぐに手の出る子だった。お母さんの話では、「悪いくせに怖がりで…」と家でも手を焼いている様子。練習しない理由を聞くと「だってできへんもん」。次の時間から、私はゆうこさんにつきっきりで練習させた。3時間ぐらいするとできるようになり、「練習したら私にもできる」という思いが芽生えたようだった。
 6月は、マット遊びをした。「ねこちゃん体操」を教材にグループ学習をした。グループは同じだが、マットの方が練習場所も十分に確保でき、私も練習・観察している様子が掴みやすかった。ここでのグループ学習は、見ている二人が、「ねこちゃんの」お話を言い、それに合わせて二人が練習し、交代するというものだった。初めは、「お話」を言うのが精一杯だったが、それでも、「ふう、はあ」の姿勢の作り方を、教える子も出てきていた。

3.水泳の授業の条件
(1)施設、設備について、
 プールは屋上にあり、25m6コース。小プールはない。代りに、プールフロア(1×2×o.4m)が6台ある。
(2)練習時間
 45分間を1単位として、1週間に3時間、通常の体育とは別の時間割が組まれている。7月の短縮授業になっても、時間数は変わらない。

4.実践のねらい
(1)教える内容について
 これまで、低学年、とりわけ1年生での「分かる」内容が見つからず、がっくり浮きとスーパーマン浮きの時間になって初めて「あごの出し入れ」を「分かる」内容としていた。これは私の意識が、技術認識だけに限られていたためだ。
低学年では、「体を通して分かる」ことが大切な内容になると考え、今回は、水の中で自分の体を動かしたとき(水に働きかける)、体がどうなるか実感をともなってわかることを中心に内容を用意する。
(2)グループ学習について
 順番を守って練習できる子どもたちなので、水の苦手な子どもたちを巡って、どのような関わり合い、教え合いをしていくのか、また、それを通じてどのような友だち理解をしていくのか探る。練習するときに、学習内容がわかりやすいように学習カードをラミネートフィルムでカバーして持たせ、プールの中でも見られるようにする。

5.目標
(1)力を抜いて、いろいろな形の伏し浮 きや変身浮きができる。
(2)「お話」に合わせて、浮いたりもぐ ったりできる。
(3)自分の体と水との関わりがわかる。
(4)与えられたポイントにそって、グループで友だちの泳ぎを見たり教えたりできる。

6.授業経過(全17時間) 表1


7.1時間の流れ 表2

8.授業の流れ
(1)オリエンテーション
プール開き前日、教室でプールサイドヘ行くまでの手順を説明した後、学習の内容「水泳もグループで勉強すること」「みんなが浮けるようになることを目指すけれど、顔を水につけることから勉強すること」を話した。そして、「普通の所と水の中では、どんなことが違うか」を考えさせた。いくつかのやりとりで、息ができなくなることが一番怖いとがわかったので息を止める練習と息つぎの練習をした。グループは、私が決めてすでに生活班としてスタートしていた。

(2)第一次 浮くまでの水慣れ
@顔つけ、水中歩行(3時間/6月17・18・22日) 
 プール開きの日、子どもたちの反応を楽しみにプールに行った。事前に教室で、勉強する内容と方法を、グループノートを見ながら話をし、練習の方法、2人が練習し2人がそれを見る(どこに立ってみるかなど)は、シミュレーションさせた。
 初めてのシャワーは、泣き出す子はいなかったが、苦手だと聞いていた2人(さおり、ゆうこ)は、今にも泣き出しそうな顔で、下を向いて水を浴びていた。
 ワニのもぐりっこでは、鼻をつまんで何とか顔はつけるが、すぐに出てきてしまう子がどのグループにもいたし、ワニの散歩では、一人で歩けない子もいて、予想以上に水の苦手な子が多かった。(10人)
 この様子から、どんどん進むのではなく、ゆっくりと学習を進めていくことにした。
 またグループで練習をしようとしているが、どうしても、見ている子は、ノートに目がいき、練習している友達から目が離れていた。
 3時間の内容は同じだが、顔をつけている秒数が少しでも長くなるように、チェック項目を『「ワニさんもぐって」の間つけていた。』「パッの時、顔を拭かなかった。」「パッの後すぐに続けてできた」と変えていった。
 「お話水泳」のワニの散歩では、トンネルくぐりがあり、一人でできたかどうか自分でもわかりやすいので一気に「できた、もう少し」と友だちどうし励まし合いのムードが高まった。
1時間目の後、練習の前に、「ちゃんと友達を見る」こと、そのために「練習している友達の前を後ろ向きに歩く」ことを強く言ったので、友だちの様子を見ることはよくなっていった。勝手なことをする子がいる4班(まさお)と8班(りょう)は、うまく練習ができていなかったが、残りの班は、しっかりとできていた。感想文にも教え合った様子が書かれていた。
・けんじを手伝った。けど、またけんじが、プールの水を飲んでもうた。けんじが今日一人でできた。けんじの手をつないだった。けんじは、嬉しかったと思うから、けんじはちょっと顔をつけられた。(しょう)
・今日一人でトンネルくぐれた。それから、ひかるとしょうが手つないでくれた。けんじががんばりやと言ってくれた。先生が手伝ってくれた。先生ががんばりやって言うてくれた。(けんじ)
(2)動物歩き
(2時間/23・25日)
 この時間は、初めに、息を止めていることをどこで見るとよいか気づかせたいと、「調べてみよう@」の学習として「息が漏れたらどうなるか」をした。ようやく顔をつけられるようになった子は、息を吐くことができなかったが、友だちの様子を見て確かめていた。
 次に、ワニのもぐりっこ競争で長く顔をつける練習と、動物歩きをした。
動物歩きは、プールフロアを沈めて、アザラシの散歩をした。初めは、顔をつけずにスタートし、2回目以降は顔をつけるようにした。できない子がいるかもしれないと思ったが、手をついて足を後ろに伸ばせない子は誰もいなかった。顔をつけられない子もいなかった。むしろ、前時までの立った歩行よりも体が安定するからか、「こっちの方が簡単」という声も聞かれた。
 みんなが恐がらずにできていたので、2時間目の終わりに「浮く」ための学習アザラシの変身を入れてみた。どの程度、浮けるかと全部のグループを回った。すると、初めに顔をつけにくかった子の内3人がすぐにはできていなかった。ゆうこは、すぐにできるようになっていた。
 できていない子がいるグループには、私が入って一緒に練習した。結局この日、15分ぐらいの間に全員浮け、(4人見学)「みんなミズスマシになれたね」と言って拍手した。しかし、この日の感想に「ミズスマシになれた」とは書いているものの「浮けてよかった」という感想はほとんどなく、「ミズスマシ=浮いた」とは考えていないことに気がついた。模倣遊びでミズスマシになりきって練習している1年生らしいと思った。
(3)第2次 浮きの学習
 (4時間/6月29・30日 7月2・6日)
前の時間、子どもたちが結びつけて考えていなかった「ミズスマシ=浮いた」ということを教え、あざらしの変身の復習を兼ね、浮いたときどんな感じがするか調べさせた。
 2時間目は、やや深いところで(動物歩きの状態で底に手をつくと顔が出ないぐらいの深さ)カエルの変身を、3、4時間目は、普通の深さでの伏し浮き白クマの変身をした。
この学習で大切なことは「浮いた後の立ち方」で、アゴを上げ、同時に腕を下にかいて膝を曲げることである。カエルの変身で、これをしっかりマスターしておけば、白クマの変身でつまづくことはほとんどない。今回は、2班に一人できない子がいたので、私がつきっきりで指導したが、あとの子は、みんなグループの練習でできるようになっていた(やや斜め浮きの子が3人いた)。
 そして最後に、鏡を使って目を開ける練習をした。子どもたちは、授業前にノートを見たときから楽しみにしていて、初めて見た水の中の自分の顔に興奮気味だった。特に手を貸すこともなく、全員の子が目を開けることができた。後で聞くと、初めて目を開けた子が7人もいた。
(4)第3次 もぐる学習
(2時間 7月7日・9日)
 全員が浮けたので、もぐる学習に入った。
 はじめに、「調べてみようA」として、「プールの底にじっと座っていたらどうなるかな?」をした。このねらいは、人は水中では必ず浮いてくることに気がつくことだった。簡単に座っていられると思っていた子どもたちに、沈もうとしても浮かんでしまうことが体験できた。
 次に「もぐる」でお宝取りとトンネルくぐりを一つずつしていった。お宝が取れない子には、もっと浅いところでするようにアドバイスをした。
 浮けるようになってはいても、まだ十分に水になれていない子は、頭から潜れず、先ず膝を曲げてそれから頭を下にする。これでは頭の位置が、腰より下にはならず、深いところでは、お宝は取れない。トンネルくぐりは、さらに頭から潜ることが必要になる。
 潜ることは、水への慣れ具合を見るもう一つの尺度でもある。
 お話水泳では、前の時間の白クマの散歩に「お宝ゲット」を入れたものをした。個々では、沈んでから浮くまでじっとすることと、パッの後、顔を拭かずに息つぎをしてすぐに続けることをねらいにした。
(5)第4次 力を抜いた浮きの学習
@いろいろな浮き(3時間13日14日16日)
 この日から、いろいろな浮きの学習に入った。大の字浮き・ダルマ浮き・ロケット浮き(所謂けのび)を1時間、スパーマン浮きとがっくり浮きを1時間した。
特に、スーパーマン浮きとがっくり浮きは、次の学年の息つぎにつながる大切な浮きだと捉えている。
今回は新しい試みとして、マットで勉強した「ねこちゃんがおこった」のフウとハアの姿勢で二つの浮きを説明した。
「がっくり浮きは、フウの姿勢でアゴを引き背中が浮いてくる。」と「スーパーマン浮きは、ハアの姿勢でアゴを上げて背中が下がる。」だ。しかしこれが悪く、がっくり浮きでは、お尻を突き出した姿勢が目だった。
 そんな中で、4班のたけしは、「ちがうで、いつものミズスマシで、あご引くねん」とアドバイスをしており、ノートの絵でどんな浮き方かよくわかっていた。私は、各グループを回って、「みずすましでアゴを引く」と言い直していった。1番大事なところの説明で大失敗をしたが、たけしに助けられた。
 いろいろな浮きで、がっくり浮きが難しかった。どこが難しかったかというと、背中があんまり上に上がらなかった。
授業後の感想文にしんいちがこう書いていた。そこで、クラスみんなに、この感想文を紹介した。そして、「しんいち君は背中が上がらなくて困ってるんだけど、自分は上がったよって感じた人いない?」と聞くと、7人の手が上がった。「どうしたら背中が上に上がったかな?教えてくれる?」と言うと「なんかなあ、力を抜いたら浮かんだ。」とけんじ。他にも二人「力を抜いたら浮かんだ」と言った。「息いっぱい吸ってやったら浮かんだ。」とゆうぞう。みつおは「背中に息いっぱい溜めてやったら浮かんだよ。」と言う。そして、たけしが「おへそ見るようにしたら背中が上にいった。」と言うと、すかさず、ひろみが「おへそ見たら、鼻に水が入って苦しくなるで。」と反論。他に何人かも、そうやそうやと、頷いている。わたしは、「たけしが言ったことよく思い出して。おへそをみるようにって言ってんで。おへそを見るとは言ってない。おへそを見たら鼻に水が入るから、見るようにやってみて。背中を丸くしないであごをひくってことを言うたんやで。」と説明した。他の意見を求めたがなさそうなので、この3つ、「力を抜く」「息をいっぱい吸う」「アゴを引く」を意識してやってみることにした。
3時間目は、1学期最後のプールなので、初めに少し練習の時間を入れ、それから中間の発表会をした。グループごとに、スーパーマン浮きとがっくり浮きの二つをした。教室に戻って、発表会のビデオを見てノートに○、△をつけていった。そして、「グループの練習を思い出すと」で、うまくなったこととグループみんなでうまく練習ができたかどうかを振り返らせた。

A
変身浮き(2時間/9月3日・7日)
 二学期最初の授業は、一学期の復習として、スーパーマン浮きとがっくり浮きの練習をしてから、変身浮きに入った。久しぶりなので、浮けなくなった子がいるかと心配したが、そんな子はいなかった。
1学期の終わりに、がっくり浮きのできない子が多かった7班の様子を見たが、みんなできていた。教え合いもうまくなり、できていない子がいると頭をトントンとたたいて合図をすることもできてきた。
 次に、変身浮き3種類をした。
【あ】がっくり浮き→大の字浮き(声かけ:がっくり浮き〜変身〜タッチ大の字浮き)
【い】大の字浮き→ダルマ浮き(大の字浮き〜変身〜タッチダルマ浮き)
【う】がっくり浮き→スーパーマン浮き(がっくり浮き〜変身〜タッチスーパーマン)
 2時間目は、最後の練習として、2連続の変身浮きをした。「がっくり浮き→スーパーマン浮き→がっくり浮き」である。ゆっくりしていると、息が続かないので早めにタッチをするように言った。全体的に、スーパーマン浮きはよくできていたが、がっくり浮きは、あごの引き方が足りないように思えた。
 後半のお話水泳は、白クマの変身3をした。これは、前回の内容に変身浮きを加えたものである。ポイントは、息つぎの時に顔を拭かないこと、腕をダルマ浮き以外は前に伸ばしていることにした。そして息つぎ以外は、顔をつけているように気をつけさせた。これまでの演技は、ぶつ切れの感があったが、少しは続けてできてきたように見えた。

(6)第5次 
まとめ
 最終日、まとめの発表会をした。前半は、「がっくり浮き→ウルトラマン→がっくり浮き」の連続変身浮きをグループごとに二人ずつ交代で発表した。
 後半は、「白クマの冒険3」のお話水泳をグループごとに発表した。見ている人がお話を言い、4人が横一列に並んで演技することにした。4人の列がガタガタ
になったグループもあったが、みんな演技することができた。 
まとめとして、教室でビデオを見たあと、この日の感想の代わりに今までの勉強全体を思い出して感想を書かせた。「初めのころの自分を思い出して、今はどんなになったのか、友達はどうか、そんなことを書こう。」とアドバイスした。

8.結果(目標の1,2について)

(1)力を抜いていろいろな形の伏し浮きや変身浮きができる。
○いろいろな形の伏し浮き
 伏し浮きについては、全員ができていた。但し、2班のまみ一人が、足までしっかり浮いた形には至らなかった。まだ力が入り、いろいろな浮きについても同様である。
ロケット浮きは、半数ぐらいの子ができていた。
○変身浮きについて
 一回の変身浮きは、全員ができていた。2連続変身浮きは、スーパーマンであごが上がっていなかった子が1人。2回目のがっくり浮きであごの引きが浅く、(もしくは、あごは引いているが、力が抜けていないので)背中が浮いてこなかった子が3人いた。(他に、未経験の子が1人)
(2)「お話」に合わせて浮いたり沈んだりできる。
 これも、全員ができたが、まみは、コースロープを飛び越えるとき、遅れてしかできなかった。

9.考察(実践のねらいについて)

(1)自分の体と水との関わりが分かる。
 水の中での身体感覚や身体操作と水の中での体の状態に目を向けさせようと、4つの質問をしてみた。
@普通の所と水の中でどんなことが違うか?できること、できないことは何かな?
 これは、水の中では、息ができないから、息を止める。ことを意識させようと考えての質問だった。
 子どもたちからは、「しゃべられへん」「口に水が入る」との声があった。私は、もっといろいろ出るだろうと思っていた(浮けるとか、足を底からはなせるなど)が、顔をつけられない子は、水の中の世界を知らないわけだから、何がどうと言うより、ただ怖いだけなのかもしれない。そんな子には、「何が怖いのかな?」ときいた方が考えやすかったに違いない。
A息がもれたら、どうなるかな?
「ぶくぶくってなった。」
「ぶくぶくになった。」
「あわがでた。」
「あわがでてきた。」
「あわがでてきた。」
「ぶくぶくになった」
「ぶくぶくあわがでた」
「ぶくぶくがでた」
という各班の答え。ただ、やっと顔をつけている子は、息を出すことができなかったので、友だちのを見るだけになってしまった。
B浮いたとき、どんな感じがしましたか。
「ちょっとういた。ふつうだった。いっぱいういた。ういたかんじがした。」
「うかんだとき、ひっくりかえりそうだった。」
「ぽかんとした。」
「うごいてた。ぷかぷかしてきもちよかった。せなかがぬるぬるっとしてきもちわるかった。きもちよかった。」
「くうきがうかんだかんじ」
「そらでうかんでいるかんじ。」
「ぶくぶくになった。ぼうっとなった。」
「ぷかんとういた。」
との答えだった。
Cプールの底にじっとすわっていたらどうなるかな?
「うかんだ。せなかがうかんだ。ふつうでうかんだ。」
「うかんだ。」
「うかんできた。」
「ういてた。」
「だんだんさかさまになった。」
「おしりがついた。」
「ぶくぶくってういた。」
「ういた。うかんだ。たいいくすわりにもどった。」
 との答えだった。
 この質問は、浮けるようになり、もぐる学習に入った時間に行った。浮く学習の時は沈みそうと思っているが、浮けるようになり、いざもぐろうとすれば、そう簡単にはもぐっていられないということに気づかせ、全員にずっと沈んではいられないことを体験させたかった。しかし、3時間前の「かえるの変身」の授業で、すでに沈めないことを子どもに実験させており、整理する必要がある。
他に、がっくり浮きの時、どうしたら背中が浮くかを質問している。「がっくり浮きは、アゴを引いて背中が浮いている浮き方だ」と紹介してからの質問である。これまでは、ドル平泳法を教えるときに、「背中までぽっかり浮くには、どうしたらいいか」を実験させ、伏し浮き姿勢を教えてきた。しかし低学年の場合には、「白クマで、アゴを引いたら体はどうなるか」や、「白クマで、あごを上げて空を見たらどうなるか」という方が大切だと気がついた。

[次回の授業では]
「体の動き(姿勢制御)による水中での体の状態」が分かるを中心にした授業を組み立てる。
例:顔つけ
@息を止める→水が入ってこない。(顔を水につけられる。) 浮く、沈む 
Aあざらし姿勢で腕を上げて耳の横につける。→体が浮く。
Aプールの底に座る。→沈んだままでいられない。浮いてくる。
C(深くもぐるにはどうしたらいいか) いろいろな浮き 
B白クマの浮きで、手足を広げてみる。→浮きやすい。
C白クマの浮きで、手足を縮める。→回ってしまう。浮きにくい。
D白クマの浮きで、アゴを引く。→背中が浮く。
E白クマの浮きで、あごを上げる。→腰が下がる。

(2)グループ学習について
 今回は、1班と4班を抽出して、授業中の私の観察と授業後のノートの感想文から考察する。
この二つの班にしたのは、水泳の学習前から「顔がつけられず、水を恐がっている。」と保護者からの申し出があった二人がいるからである。(二人とも、ジャングルジムも苦手だった)また、それぞれの班には、ジャングルジムの練習で、すぐに遊んでしまうたつや(1班)とまさお(4班)がいるからでもある。水の苦手な二人と、みんなとともに学習するのが苦手な二人が、17時間の学習でどう変わったのか(あるいは変えられなかったのか)を見ていきたい。
グループノートの個人の感想は、毎時間ごとに並べ(◎は、私のコメント)、その中から友だちとの関わり方や、見方、思いを取り出すために、次のように色分けした。
○友だちについて書いているところは、色つきとする。

・黄色:友達を見て、その様子を書いている。(できた、できていない等)
・赤色:友だちに言ってあげたことやしてあげたこと、言ってもらったことやしてもらったこと。(できてないでと言ってあげた、頭を押し込んでもらった等)
・赤字:学習している中身について書いている。(パッの時、顔を拭いていた。等)
・緑字:自分の思いや、友だちの気持ちを思いやっていることを書いている。(〜ができて嬉しかった等)
・水色字:学習態度について書いている。 (ちゃんとしてくれない等)
・桃色:その他
(但し、この原稿はカラー刷りではないので、一律に網掛けになっている。また、技術ポイントについての記述には、アンダーラインを引いている)

@1班についての分析(資料)
 1時間目、ちゃんと一緒にできるかな?と心配していたたつやは、神妙な顔をして、グループの輪の中にいる。「あれ?ちゃんと練習できるやん」と思ったが、顔をつけるのがやっとこさで、怖くて勝手なことをするどころではないということが分かった。さおりさんは見るからに怖そうで、かちかちに緊張していた。しかしこうじ君も決して水に慣れている様子ではなく、水に慣れているのは、えみさん一人だった。
 水に慣れていない子が多くてグループでの教え合いがうまくいくかと不安もよぎったが、8グループの中でも、よくまとまって練習ができていた。
 えみは、極端に恐がっているさおりに「だいじょうぶ?」と声をかけ、ほんの少し顔をつけるとそのことを喜んでいる。そして、さおりが次第にできるようになっていくのを「6/18 さおりちゃんは今日はできてたけど、あと頭をつけたら○になるぐらいだった。ほんでさおりちゃんの○つけのところは1個だけやった」「6/22 さおりちゃんが○つけするときに、2つ○があった。…きょうはめちゃくちゃうれしかった」としっかりと感じている。この二人の様子は、3〜4時間目までずっと続いている。あとの二人、たつやとこうじのことも見ていないわけではないが、1番出来ていないさおりに目が向いていたのが分かる。そして、浮きの練習に入り、さおりがみんなに追いつくと、感想の中身は、3人に同じように向いていっている。
 さおりは、自分が出来なかったことや、できるようになったことの感想がほとんどで、何とかみんなに追いつきながらも、気持ちの上で余裕がなく、友だちのことを書くことが少なかった。2学期になってからは、見学なので当然友だちの様子を書いている。離れて友だちの様子を見られたことは、さおりにとって、無駄ではなかったのかもしれない。そして、最後の感想には、えみさんに教えてもらってからできるようになったことを自分でも分かっていてちゃんと書いている。
 腕白坊主のたつやは、ジャングルジムの時とは違って、遊びだして困ることはなく、グループのメンバーに注意されるときちんと言うことを聞くことができたようで「困る」という訴えは最後までなかった。また、きちんと友だちの様子も見ており、「できていた。慣れてた。ちょっとできてた」など、たつやなりに出来具合を分けて書いているのにはびっくりした。
 こうじは、水が苦手だったので、心配した親が「スイミングに通わせた」とのことだったが、顔つけや浮くこともできてはいるが、長く続けることがなかなかできなかった。しかし、友だちのことも少しはノートに書いており、一緒に練習する中で長く浮けるようになっていた。水泳だけでなく、文字や計算の学習にも不安があり、どうしても引っ込み思案であったが、最後の感想には、「…がっくり浮きとかみんなに見せました。それで、スーパーマン浮きとがっくり浮きとかも、完璧だったよ。ぼくね、がっくり浮きとかできるんだよ。」と自信に満ちた感想を書いており、非常に嬉しかった。
 1班のグループ学習は、間違いなくえみさんをリーダーとして学習が進んでいる。たつやもえみが見学した日には、「えみちゃんが見学やったからいややった。でも、熱か分からんけど、いやじゃなかった。」と頼りにしているえみがいないことへの不安と気遣いを見せており、3人がえみを信頼していることが伺える。えみは、決して活発な子ではなく、普段はおとなしく、遊びの輪にも入らないことが多い。しかし、いざというときには、はっきり物を言い、みんなをまとめる力があるようだ。このグループは、学習規律の面で問題がなく、しっかりしたリーダーがいたおかげで、教えたり、励ましたりのグループ学習が高いレベルでできたのではないかと思う。

A4班についての分析(資料)
 4班は、最初はたけし君が足の病気のため見学で、3人のスタートとなった。この班は、心配したとおりまさおが勝手に遊びだし、なかなか3人でまとまって練習ができなかった。まさおがどうしても勝手なことをするので、水の苦手なゆうこは、さなえと練習することになっていった。しかし、攻撃的なゆうこは、注意するが聞こうとしないまさおともめ事を繰り返した。しかし、ゆうこは、さなえを信頼しており、『さなえさんが「がんばって」って言ったからがんばる。』、『ゆうちゃんは、さなえちゃんにほめてもらいました。…さなえちゃんみたいになりたいです。さなえちゃん応援してね。』と感想にも書いている。これに対して、さなえさんも、「ゆうなさん、がんばって私と一緒ぐらいまでがんばってね。」と答えている。
 まさおは、スポーツの得意な子で、始める前から一人で浮くことができていた。しかし、自分が楽しむことが全てで、感想も「〜をして楽しかった。面白かった。」の記述がほとんどである。
 ところが、このグループが、6/29からがらりと変わっていく。まさおが遊ばずにグループの中へ入るようになったのである。それは、たけしが練習に参加するようになっことがきっかけだった。たけしもスポーツが得意で、初めの4時間見学だったが、初めから一人で浮けたので問題なくみんなと一緒に練習することができていた。(むしろ、うまい)クラスでは、発言力があり教室でもみんなに注意をすることができる子だった。まさおが勝手なことをしようとすると、「やめとけ!」「ちゃんとしろ」と注意しまさおもたけしの言うことには従ったので、急に練習はスムーズにできるようになっていった。
4班では、たけしをリーダーとしてまとまるようになった。低学年では、見学の時は、いくらプールサイドから見ていても、グループに指示を出すことは無理であり、一緒に水の中にいて一緒に練習しなければ、グループをまとめることはできないのだ。それでも、まさおは、友だちの横にはいるが、目は友だちの方をあまり見ておらず、相変わらず、「楽しい、面白い」を繰り返している。しかし、グループでの練習をするようになって3時間目、「白クマのもぐりっこ、めっちゃ面白かった。クマのもぐりっこ、みんなでやると面白かった。」と書き、少し変化が見えている。
たけしは、うまいだけでなく、がっくり浮きであごを引くことや潜り方を見つけたり、ポイントになることがよくわかっていた。また、ゆうこは、時間が経つにつれて「力を抜くことや浮いたときのアゴの動かし方」などを感想に書いていて、練習では、大事なポイントを教え合ったことが伺える。これによって、まさおも一緒に練習することが続いたのではないだろうか。
しかし、まさおのまとめの感想に「…最初からちゃんとできてた。ゆうこさんは、最初できてなかった。さなえさんもゆうこさんと一緒でちゃんとできてなかった。つよし君もまさおと同じでできてた。」と書いている。私は、これを読んだとき、「最初からできていたから自分の方が上なのだ。」というまさおの気持ちを感じ、「みんなで練習してみんながうまくなった」と言うことを喜ばしいこととは感じていないなあと思った。
 まさお以外の3人は、教えてもらって、みんながうまくなったと言うことを感じていると思えた。

Bまとめ
(@)グループ4人の関わらせ方。
4人グループで4人が互いに結び合うことについては、かなりうまくいったと思っている。それは、感想に自分以外の3人の名前が登場しているからだ。4人で2つのペアをつくり、練習では、ペアがそれぞれに練習するのではなく、2ペア一緒に練習するように言ってきた。また、ペアの組み合わせは、毎時間変り、4人が順に入れ替わって組むようにしていた。このやり方が、グループみんなという意識を早くから持たせたのではないかと思う。

(A)リーダーの存在と教師の関わり方。
次に、低学年のグループ学習でも、リーダーの存在は欠かせないし、大きいと感じている。今回は、リーダーも順番で、形としては交代してやっているが、練習の中では、次第に固まってきていると言うことだ。そして、その子を中心にグループみんなの力で、ふざけて遊んでしまう子も、だんだんと練習の輪の中に入っていくのだと感じた。クラスで1番問題児のりょう君は8班だったが、そのグループのまこさんが、まとめの感想でこう書いている。「今日はがっくり浮きがいつもより上手にできた。全部の班が上手だった。れみちゃんは、最初の日は浮かれなかったけど、だんだん練習して浮けました。最初、りょう君はうろちょろしてて言うことを聞かなかったけど、だんだん言うことを聞いてちゃんとグループで練習できた。よかった。」
もちろん、学習規律が確立していない集団の場合には、教師がそのグループに入って一緒に練習方法を教えることが重要だ。子どもたちの手に負えないつまずきや怖さのある子には、教師がうまくしていくことも必要である。
しかし、できるだけ子どもどうしの教え合いを成立させることが大切で、そのためには、教師は、必ずみんながうまくなっていく系統的な練習内容や分かる内容を準備しなければならない。特に、グループ学習の初期の段階では、一緒に練習することでうまくなっていく事実が大切なのである。

(B)感想文の記述
「分かる内容」は、グループノートの感想では、アンダーラインを引いたところである。しかし、全体的にはこれについてはあまりかかれていない。教え合ったことを書いていても「〜に教えてもらった」や「〜に手伝ってもらった」という書き方になっている。だからといって、励まし合いばかりだったかというとそうでもない。ノートのチェック項目についてアドバイスし合っていることはかなり見受けられた。ただそれが、感想文にはあらわれてこないのだ。(現に、4班のつよし君は、がっくり浮きのところで「白クマでアゴを引くねん」とグループの人に言っていたが、感想には書かれていなかった。)その理由として考えられることは、@練習していることで、何が大切なのか切り取りができない。A文章でうまく表現できないレベルである。(ようやく、平仮名を習い終えたところ)などである。

(C)発表会の意味 
そしてもう1つ、グループ学習で欠かせないのは、中間や最後の発表会だと気がついた。他のグループの出来具合を見て、「〜の班がよかった」と思うことは、自分たちの班の出来具合や集団としての力を客観的に見ることができるようになってきた表われでもある。自分たちのグループがうまくいかなかった場合、他のグループと比較し、自分の班の練習のどこがダメだったのかを考えることにもなるからである。
4班のゆうこは、4時間目という早い時期に「6班はいつも上手です。早くゆうちゃんも上手になりますように。」と書いている。自分の練習をしながら、隣で練習している6班の練習ぶりに目がいったのだろう。また、今回、発表会で他の班を見たことで、何人かの子どもが、「他の班もうまい」ということを書いている。それは、「グループのみんな」という意識から、「クラスのみんな」という意識の広がりにつながるものだと思う。
これまで、私は「互いの出来具合をみんなで確かめる」ために発表会をしていたが、「自分の班の活動を振り返るために他の班の出来具合を見せる」ことも、発表会の目的だと思えた。

10.おわりに
 低学年、とりわけ1年生の1学期に技術認識の媒介を中心とした交流を求めるのは無理がある。だからといって技術を媒介にした異質協同のグループ学習は、必要ないと考えるのは間違いだ。
この時期でも、「できた」「できていない」、「お話をする方と練習する方」、という交流を中心に、見本を見せてあげたり、手伝ってあげたり、ほんの少しはポイント(技術的なこと)にそった交流を重ねていくことはできており、この積み重ねが大事なのである。これを繰り返す中で、友だちのことがわかり、友だちとがんばれば、必ずできるようになるという安心感が生まれ、みんなを巻き込みながら学習していく集団が育っていくのだと考える。
技術的なことについても、1年生の3学期にもなれば、教師が示したこつをもとに教え合うこともできてくる。2年生になれば、部分的に自分たちでこつを見つけることも十分できるようになる。ただ、低学年では、それらは点であり、個々、バラバラな「分かる」でしかない。しかし、それが中学年高学年と進むにつれ、線から面へと構造的な理解へ発展していくのである。

※尚、文中に登場した子どもの名前は、仮称である。また、感想文は全て平仮名で書かれているが、読みにくいので、漢字…カタカナ混じりにした。

【「グループ学習」実践へのコメント】(研究部)

1.特徴的なこと
(1)これまでの自分の実践を振り返って
・グループ(以下G)学習の到達イメージ がない。
・低学年は、「体を通してわかる」が中心といわれるが、1年生の『わかる』内容が見つからない。
・これ(本実践)までは、技術認識だけに意識がいっていた。

(2)今回の実践について
・水の苦手な子どもたちをめぐる友だちどうしの関わり合い、教えあいについて探る。→「どのような友だち理解をしていくのか」
(G学習の深まり、集団的認識?について)
・自分の体と水との関わりに気づかせたい。→自分の体と水とのかかわりについて意識した問いを投げかける

2.実践の中でのさすが
☆出原氏(名古屋大)の「『わかる』を発展させていくための学習集団づくりの実践課題」(著書「異質協同の学び」創文企画)に照らし合わせながら

(1)「できる」「わかる」の系統的発展のストーリーを教師が持つこと
◎水泳プロジェクトの系統性研究の成果と、これまでの実践の経験を着実に実践に生かしている。

@Gノート作り
水プロの技術の系統性研究に裏打ちされたステップを子どもたちが楽しめるようにつくられている。(絵入りでわかりやすい)これを使うだけで誰でも一定の成果が挙げられるであろう)しかも、子どもの実態に即して「付け足し」を行うことで、さらに子どもたちの技術の進み具合を細かくチェックできるようにするなど、それまでの経験の上に立った工夫がなされている。
AG学習のスタイル(方法)確立への手立 て
(例)
・6月17日(教室)で練習方法を体験させる(実際にどこに立ってみるか)
・6月1八日(プール)ちゃんと友だちを見るために練習している友だちの前を歩くことを指示。
・7月二日(プール)変身浮きにつまづく子ども(りな、きょうこ)に
「見ている人の手に自分の手をのせて浮いてから離す」「浮いてじっとしていることをアドバイス」というステップを入れる。

(2)「わからせる」ための教材・教具の開発
B教材としての「お話水泳」の内容
Cプールを知りつくした上での使い分け方や水中鏡

(3)授業方法の改革
(つまづきや「できる・できない」、「わかる・わからない」の過程を取り出し、子どもたちを立ち向かわせるような授業づくり)
D自分と水との関わりをわからせる(感じさせる)取り組み(実践報告参照)
・普通のところと水の中での違いは?息が漏れたらどうなるか?という問い
・みんなミズスマシになったね。
・人間の体は沈まない。
(「かえるさんと同じ」、「もぐる学習」)
・背中が上がらない→あごを引く)
※ 実は、この部分が技術認識と深くかかわっている?
(できる→感じる→わかる)

3.N実践の「なぜ?」
(1)報告内容の中間あたりは、技術の出来具合中心の記述で、G学習の姿が見えてこない。
(例)「まやにつきっきり」→まやのがんばりをGが見れずについて
1年生で、どうすればいいか。水泳の時間は決められているし、その中で成果が求められる。そのことは、実践者がいちばんよくわかっている。しかし、あえて言えば、「まや」が二人いればどうなったか…。
(2)「ロケット浮き」ができていないのに○をつけている子どものことへの記述
 水との関わりを認知することの難しさ
  しかし、「力(リラックス)、息、アゴ」の3つを見つけただけでも驚き!

4.N実践Gノートからの考察
 報告用のグループノート記述は、カラフルに色分けされN先生自らがそれをもとに分析しておられる。それらを参考にしながらも、ミクロに見ていくのではなく、ざっと感じたことを中心に書いてみたい。
(1)1班のノート
 「えいみ」の記述。一番さまざまなことが書かれている。後になるほど、メンバーみんなの記述が多くの内容を含んでいるように見える。
※ 出来具合の進化から来る心的余裕が友だちとの交流を進めていったのではないか?
     ↓
出来具合が感情の交流を促進させる。
(これはNさんも報告の中で書いている。「(かおりは)気持ちの上で余裕がなく友達のことについて書くことが少なかった」)

(2)4班のノート
 かなえ、ゆうなのGノートの記述が初めカラフル(技術内容や友だちとの関わりについて触れているということ)。だんだん地味な色(特に友だちとの関わりの中での記述がない)に…。でも9月は、また友だちへのアドバイスなどの記述が見られるようになっている。Nさんは、6月29日をGの変化の契機としている。そして、その理由を「『たいき』の参加」としている。確かにそう見えなくはない…。しかし、果たしてそれだけか…。
@ 7月9日までは、水と自分の体との関係や「〜ができた」「うまくなった」という記述が多い。
(例)
6月23日 「わにのもぐりっこの息を数えるときに、いつもやったら40くらいいってたのに」(かなえ)
       「もぐりっこ競争でゆうちゃんは、11回でした。少なかったら3回でした。」
6月25日 「今日は目を開けられました。―中略― 何日間かやってきてうまくなっていって、そのうちに先生を越しちゃったらどうしよう。」 (かなえ)
       「わにさんのもぐりっこ競争で一番長くつけていた数は5回でした。アザラシさん変身みずすましのときに、みずすましができました。」
6月29日 「アザラシさんの変身の数えるところができなかったときとできたときがあってうれしいときと悲しいときがあった。」(かなえ)
       「アザラシの変身で、体がぷかぷかA6月下旬当たりから技術にかかわる記述らしきものが少しずつ出てきている。
6月29日 「かえるの変身が一回目はできなかっ  たけど、後からうまくなって…」(つよし)
B 7月にはいると学習の内容もあってか、ぐっと技術にかかわる記述が増えてくる。
7月2日  「白クマさんのさんぽで、1・2・3・のところが、息がぴったりだった。」(つよし)
7月9日  「手で水をかき分けてやったら全部取れた。」(つよし)
7月13日 「だるま浮きでうまくいけませんでした。そんなに自分でもうまくないなとおもいました。」(ゆうな)
       「いろいろな浮きで3つの勉強をして、そのうち1番難しかったのが、ダルマ浮き。ダルマ浮きの手で足を持つのが難しかった。」(かなえ)
7月16日 「今日は、がっくり浮きがちからが抜けません。まだ、うまくなっていません。」(ゆうな)
       「今日は、スーパーマンとがっくり浮きを発表しました。そして、がっくり浮きの浮かぶとこが足が浮かんでこなかった。」(つよし)
 このあたりの友だちに関わる記述がないところは、「できる」(技術)にかかわることを自己の中に蓄積している時期であり、個々のできたことが増える喜び、そこから生まれる余裕、そして「(水と自分の体に対する)認知→技術への認識」が他者との交流を自ら求めるエネルギーとなるのではないか。技術認識の高まりがなければ交流は促進されない。という証(?)でもある。

5.雑感に限りなく近い結論
 自分自身、初め、低学年のG学習においては、感情の交流(励ましあって、できる喜び)が重要であると考えていた。しかし、前述したような四班の(特に「ゆうな」の)6月下旬から7月にかけての記述は、「『できた』への喜び+水と自分の体の関係(への認知?)→技術認識」へと変化しているように見える。このことからも、実践者が子どもたちの技術に焦点を当て子どもたちがそれを追求していく過程で、低学年なりに「できたこと・わかってきたこと」が他者を見る余裕につながる、または他者への興味につながるのではないか。その上で感情が交流されていくのではないかと思えた。(自分ができる喜びと同じ「喜び」を味わわせてあげたい。)「『できた』への喜び+水と自分の体(認知?)→技術認識」の「たまり具合」が、感情の交流を促進し、他者への認識とつながっていく。したがって、技術認識(といえるかどうかという疑問は残るが…)を媒介としない限り感情の交流はありえない。そう思えるのである。
 今回、Nさんは、実践の中に「水と自分の体とのかかわりに関する問いかけ」をふんだんに盛り込んだ。そのことが、大きなポイントであったと思う。たとえ、一年生であっても、「技術認識の媒介を中核といした交流が無理」であっても、「できた、できていない」を個々が自覚し、そこに「水と自分の体との関わり」(水と自分の体の関係への気づき=認知というべきか…)を重ね合わせたときに、限りなく技術認識に近づける。この「認知→認識」のたまり具合が感情の交流への意欲を促進しているところにN実践の目玉があるのではないかと思う。
G学習における自治的・集団的能力の形成過程は、G内の個々の技術認識や技術そのものの高まりと重要に関連する。そして、そこへの喜びこそが感情の交流を促進し、他者の技術の高まりへの興味へと移行する。そして、それがさらに友だちの技術的変化を喜ぶことにつながっているのではないだろうか。「できた」を理論的に説明できない、どこに意識をおくのかについてもうまく説明できない低学年。「がんばれ」だけでなく、「だんだんうまくなっている」ことがわかることは重要である。そんな記述が増えたのは水と自分の体に関する感覚が研ぎ澄まされたから、だと思われるのである。
 最後に蛇足かもしれないが、Gノートにおける子どもの「友だち記述」のやり取りの細かい変化を追うことは重要だが、技術学習の内容との関連の中で見ていかなければならないのではないか。たとえば、「この学習の時にこのようなわからせる手立てを行ったから子どもたちの動きがこのように変わった。」または、「子どもたち同士がこんな会話の中でこのようなことをしていった」というような「技術認識が培われていく過程」で友だちのことをどう書いているかを見ていく必要があると思われる。

【例会のまとめ】報告/(研究部)
 集団的認識については、大阪支部がグループ学習研究をしていた当時から取り上げていた課題だった。異質協同のグループ学習で授業を進めれば、子どもたちの教え合い、学び合いが盛んになされ、実践報告では「グループ学習の質の高まり」という言葉で括られていた場合が多かった。しかし、その「高まり」とは何か?何を元にそれを見ていけばよいのかがわからず、また、「集団的認識」が生活指導と共通している部分があり、忌避する傾向もあったように思われる。
 実践報告を聞いて思うことだが、N実践では、その課題に挑んだ実践報告だったと言うことができる。N氏はその課題を子どもの感想文を拾い上げることから「集団的認識」を明らかにしようと挑んだ。毎時間の子どもの感想文を丁寧に読み解く中で、技術認識をそぎ落とした感想の中には、
@子どもの感想が友達に関しての記述が多くなる。A自分のグループがどうなのかが他のグループとの対比で見ることが出来るようになる。B「今度は」とか「来年は」とかいう長期的な見通しを持てるようになる。など、特徴的な感想を見い出すことが出来た。これが1年生でも可能であると言うことをN実践は示している。
例会では、研究部分析を受けて、グループ学習における「集団的認識」「集団的能力の形成」に関わる論議を行った。
 N実践では、技術を媒介にした技術学習によって子どもの学びが豊かになったことは間違いないが、技術認識に至らない未分化の段階にあたる低学年の技術学習では、技術以外の部分が大きく作用していることが明らかになったように思われる。しかし、「できる」「わかる」以外の「感じる」とか、「体を通して気づく」ことなど、低学年の水泳で大切にしなければならないことは確認できたが、それが技術認識へとどう発展していくのか、N実践ではどの様な手だてが講じられていたのか、時間的なこともあり、この辺りの論議が低調に終わったと言える。
 N実践で明らかにされた事実がさらに中学年、高学年となるにつれてどう発展し、技術認識に結びついていくか、「集団的認識」課題にせまる実験的実践への挑戦が今後必要になると思われる。

<参加者の感想から>
☆ていねいな報告で、初参加者の人にもわかりやすかったかなと思うが、後半の討議時間が30分しかなかったのは残念でした。研究部の楠橋さんの分析がよく一人でできているなあと感心しました。集団的能力の形成にかかって、自分の高まり(はじめは「できる」比重の方が大きいが)を客観的に見る(自分で確かめる)ために、友達へアドバイスする。技術認識としては、自分がつかんだコツの妥当性、一般性を確かめたいというのが、集団への意識の契機ではないかと思った。

☆N実践を楽しみに参加しました。実践内容、実践のまとめ方はさすが!でした。Nさんの実践は何回か聞きましたが、毎回新しい自分の課題にチャレンジして、その実践スタイルもすごく参考になりました。実践分析をするまでに至らなかったですが、実践のヒントをたくさんもらいました。「わかる」って何やねん?時間をかけて、考えてみたいと思います。

☆「できる」「わかる」以外の「感じる」部分の大切さがわかった。(技術)認識につながっていく感覚や思いをいかにためこんでいくのか。「自分たち」を意識させていく過程で、「だんだん上手くなっている感覚」を持たせることは特に低学年では大事なように思った。そのことで友達の出来具合に目がいくということも納得できた。水と体の感覚も、動作をっせることで、体がどうなるのかを感じる→それを交流する、というスタイルも自分や友達を客観的に見れる一つの手だてだと思った。比較実験もその一つだと思った。

☆同志会の例会らしい例会だったなぁ。Nさんの実践ではあたり前の体育の実践だ(ていねいさでは群を抜いているが)けれど、今、そのあたり前の実践は少なくなっている。めあて学習、選択制、習熟度別・・・。体育におけるあたり前の授業をこれからもきちんとやっていく必要を感じた。今までは、『目的となる「運動」を示し、そのための「動作」を見つけさせる』ことが目的だったが、今回は、『ポイントとなる「動作」をさせ、そのことで引き出される「運動」その感覚を交流させる』実践だった。今後の実践に生かしていきたい視点の転換だった。

☆今日はありがとうございました。私は低学年をうけもったことがないので、はじめはイメージを持つこともできなかったのですが、報告を聞かせてもらっているうちに、授業の流れがスムーズに入ってきました。グループノートなどの教具も工夫されていて、とても参考になりました。特に興味深かったのは、「目的を提示して動作を見つけさせる」ことと「動作を提示して実感させる」。低学年は後者の方がいいのでは、ということでした。また、勉強させてもらいたいと思います。

                            

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