「スポーツとジェンダー」 (2004.6.18)  -わしら同志会の体育実践-    


【実践報告】

1.ジェンダーと子ども

 ジェンダー問題というと女性差別問題・男女平等問題ととらえがちであるが、男の生き方を問うことでもある。結論から述べれば、「人にはさまざまな生き方があることを学ぶ学習」であると考えてよいだろう。
いじめによる自殺者は1986年から1996年の間で40件あったが、男女比は、3対1である。いじめに限らず、一般的な自殺者でも世界的に男性が女性の二倍といわれている。では何故、男の自殺者が多いのか。それは、男は暴力的で、いじめの度合いがひどく相談相手がいない、プライドが高いことから、男は強くなければならないから人には言えない。いじめられている自分を認めたくない等の原因が考えられる。つまり「男らしくしろ」の男の育ちの方が女の子の「女らしくしろ」の呪縛よりも強いのである。更に、老後をみていくと、六〇歳以上で、パートナーに先立たれた男女の平均寿命は男は三年未満、女は十五年以上生きるという。彼らの生活の課題は男は孤独、女は経済的な問題であるという。人間の根本にジェンダー問題が横たわっているといってよいだろう。ジェンダー問題を学ぶことは「人間としての生き方を学ぶこと」につながり、教育の目的の一つである「人はどう生きるべきか」について学ばせる機会になると考える。
 最近「男なんだから男らしくしろ」や「女らしくしろ」という考え方は少しずつではあるが、少なくなっているとはいえ、長男だからなどという家柄を重んじる家は相変わらずであるといってよいだろう。また、岸和田といえば「だんじり祭り」男の祭りである。この中で子どもたちは、「岸和田の男」のアイデンティティーを切り結んでいく。一方テレビのコマーシャルでも、男の子は腕白で外で遊び、女の子はお母さんと家事をしているといった具合である。知らず知らずのうちにメディアの影響を受け、育ちがゆがんでいく。
 スポーツとジェンダーについて子どもにアンケートをとってみると、トップアスリートたちのスポーツ種目について男女の差異では、我々よりボーダレスであるように思える。しかし、実際の身近なスポーツについて男女の違いを感じているようでもある。
 このような子どもたちにオリンピックイヤーである今年、「問う学習」=調べ学習などから夏季オリンピックの競技数の変遷の関係などを通して女性スポーツに対する偏見を克服してきた歴史的事実やオリンピックと戦争の関係を理解し、生き方について考える機会としたい。

2.スポーツとジェンダーフリー
 スポーツとジェンダーフリー、一見何のつながりもないように感じるが、そうではない。スポーツにおける女性の歴史を見ると、今までの女性の歴史や女性の立場に対する考え方というものが色濃く反映されている。誤った女性に対する見方や偏見が少なくなったり、女性の立場に対する見直しが進むにつれて、女性の社会にでていく人口が増えたり、職業や地位が多様になったように、女性のスポーツ参加人口が増えたり、今まで女性にはできないと考えられてきた競技や種目が、公式種目として認められるようになってきている。このようにスポーツの世界も一般社会と連動しており、一般社会の縮図と考えることができよう。
 ジェンダーフリーを考える時に、男女間で起こる差異が、肉体的な性差(セックス)に起因しているものなのか、ジェンダーバイアスによるものなのかを、考えなければならないように、セックスを無視して考えることはできない。スポーツに世界においても、セックスの違いが競技、種目、ルール、記録の取り方などにもあらわれている。
 子どもたちに、一般社会の縮図であるスポーツ界の中で存在している男女の差異を、セックスによるものなのか、ジェンダーバイアスによるものなのか、を意識して考えさせたり、スポーツにおける女性の歴史や立場について考えさせることによって、多様な価値観の存在に気付き、固定的な男性観、女性観にとらわれないスポーツ観を育てたい。
 さらに、ジェンダーバイアスは女性特有の問題なのではなく、ひとりひとりの生き方の問題なのだということに留意しながら、自分たちの身近にある問題を考えさせ、男女が共生できる社会を築くことができるようにさせていきたい。
 今回教材として、オリンピックを取り上げている。今年はオリンピックが開催されるので、子どもたちにとって情報をたやすく手に入れることができると考えたからである。また、オリンピックは「スポーツの祭典」といわれ、一度に多くのスポーツの現状を考えることができるし、多くの国々の現状も考えることができるからでもある。
 奇しくも今年は近代、古代オリンピック発祥の地、アテネで行われる。近代第1回(アテネ)オリンピックと今年の(アテネ)オリンピックを比べてみると、男女間の違いだけでなく参加国数、種目、競技、参加人口などについても違いが見られる。また、古代オリンピックと近代オリンピックの歴史を見ると、古代オリンピックは中止されたことはないが、近代オリンピックは3回の中止がある。戦争がオリンピックに与えた影響や、「スポーツの祭典」と言われるだけでなく「平和の祭典」と言われることについても目を向けさせ、戦争のない平和な世界を築くことの大切さについても考えさせた。

ジェンダー
:社会的文化的に作られた性差

ジェンダーバイアス
:社会的分化的に作られた性差に対する偏見や先入観

ジェンダーフリー

:正確には、ジェンダーバイアスフリーと呼ぶべきであって、社会 的文化的性差に対する偏見、先入観から自由になること「解放され ること)と解釈するとわかりやすい。

3.学習の展開について(基本的な考え方)
 泉州B委員会では支部の研究計画にそって、ブロック研究テーマを検討した。前年度に渡瀬が総合的学習の時間にジェンダー問題を扱った授業をしており、その実践を参考に、スポーツにおけるジェンダー問題を教材として扱うことになった。
 本教材の意味については、前述の「ジェンダーと子ども」「スポーツとジェンダーバイアス」で述べているが、ブロック委員会で本教材が具体化されるまでのいきさつを説明しておきたい。そのことでブロック委員会の意図、考え方が後の学習計画にどう反映されているのかが理解されやすいと考えたためである。
 当初、ブロック委員会メンバーがジェンダー問題について基本的な考え方を把握できておらず、自らの経験での、あるいはそれまでの断片的な知識のなかでの話が繰り返されるため、「スポーツとジェンダー」問題に関する基礎的な学習をまず積み上げることになった。基礎学習のための文献を紹介し合いながら、特に雑誌体育科教育の連載『スポーツのジェンダー学』(01年4月~03年3月までの計24回シリーズ)をメインに学習をした。

 ブロック委員会では学習の展開方法について大きく悩んだ。討議のなかで次のような意見がだされた。
・学習の目標またはねらいをどこに置くのか。
 これは討議の中でも明確になりきっていない部分である。
 ①ジェンダー(社会的に形作られた性意識) がスポーツ形成や意識にどう影響してきたかを知る。<歴史や社会、男女差異の 実態>
 ②多様な価値観の存在に気づき、また、偏見(ジェンダーバイアス)があることに も気づく。それらを通して、人々が協力共同して社会を創り出していくことの大切さを知る。
 ③「全ての人々のためのスポーツ…Sports  for all」をめざして、スポーツのこれからの方向について考えることができる。
 ④「問う」学力をつける。
・体育科における目標と総合学習における目標
 体育科の目標<運動文化の継承発展>と、総合学習の目標<現代における人類的な諸課題の解決に子ども自身が自らの生活を基盤に挑む>こととどう結びつけるか。ここでは「総合的な学習の時間」の目標<自ら課題を見つけ、自ら考え、自ら解決する>とは区別し、その関連性についても検討が必要と思われる。
・学校や社会の中でのジェンダーについての自覚
 個々のレベルでの男女観の問題ではなく、機構、機能として形作られている男女の機会不均等や政策的な不公正についてどう扱うか。
・子ども世界でのジェンダー問題
 日常の中で、子どもたちの男女間の問題を、問い直すことが必要である。
・男女の差異と多様な価値観の存在
 男女の差異がグラデーションのように多様であり、その中で男であることと女であることの固定的な価値意識を押しつけていくことは誤りである。
・実技や検証を通した授業展開が、子どもの意欲に肉迫するのではないか。

・女性のスポーツ種目におけるルール

 ルールの検討が幼児から高齢者まで、また、障害者のスポーツ参加を促し、より幅広いスポーツを愛好する人々を育てていく可能性をもっていること、また、ルールは必要があればすべての人々のために改変され得るものであることにも着目したい。
 そのほかにも様々な角度から意見がだされたが、学習へのアプローチとして
・子ども自身が問題に切り込める学習の展開をとりたい
・子ども自らが「問う」力を育てたい
・体育理論としてアテネで開かれるオリンピックを素材に「スポーツで男女のちがいはある(ない)のだろうか」をテーマに調べ学習に取り組ませたい。


 当初、子どもたちがとらえているスポーツのイメージからとくに女性のスポーツと固定的にとらえられがちな種目についてVTRあるいは実技を通して、検討させてみることが考えられたが、該当種目についてこちらの指導力量の問題で、このアプローチは削除された。
 また、授業書スタイルの資料提示から問題、仮説、検証のながれも検討されたが、資料提示で子どもの「問い」の範囲を狭めるのでなく、それ自身を子どもの手に委ねる方法をとることにした。ただ今回のねらい、「スポーツとジェンダー」に明確に迫るためにオリンピックを素材にしたスポーツにおける男女の差異を扱うことについては教師側からの提案とすることにした。
 授業のながれについて、事前アンケートの結果を知らせ、そのことについて子どもたち自身が討議するなかで気づくことから学習に入り、また、オリンピックについての最小限の知識についてはこちらから、授業書のスタイルで調べ学習に入る前に1時間程度ふれておくことにした。また、その学習の後、オリンピックについて、さらに知りたいこと、気づいたこと、学んだことなどを記述させ、「スポーツとジェンダー」学習のあと、それらについては発展学習として扱いたいと考える。1時間程度のオリンピックの基礎知識学習なので、次のような点などについてはふれないでおくが、スポーツとジェンダーに関わる問題が、これらの問題と深く関わり合っていることを指導する側としては押さえておきたい。
・アマチュアとプロ(アマチュアリズム)
・人種問題
・商業主義(コマーシャリズム)
・開催国のきめかた
・マスメディアとスポーツルール 等
 資料を事前に提示しないので、問題探求の手法を十分に指導する必要がある。新聞、インターネット、図書館、聞き取りなどの活用の仕方、また、入手した資料の整理の仕方も指導する必要もあろう。子どもが見つけ出してきたことがらについて、十分に評価し、全体になげかける指導の側の力量も問われる。

<参考文献>
・近代オリンピック100年の歩み
 (ベースボールマガジン社)
・ジェンダーフリーの基礎知識
 (鈴木 正弘)
・ジェンダーてなあに
NPO法人SEANホームページより
(http://npo-sean.org/gender.htm)
・スポーツのジェンダー学
(体育科教育、連載1~24回)
・「3つのフリー」をめざして
~ジェンダーのもつれをほどく~
:堀田 碧 (ジェンダーに敏感な学習を考える会)
・オリンピック絵辞典(PHP)





☆近代オリンピックおもしろクイズ

<Q1>次の3つの競技の中で過去にオリンピックの競技であったものはどれだと思いますか?
 1,腕相撲  2,綱引き 3,玉入れ 

<Q2>古代オリンピック種目からも存在した陸上の短距離走(100m)は今と
ルールが変わっていました。1つだけ正しくないものがあります。どれだと思いますか。
 
 1,男女が一緒に走った。
 2,スタートとの仕方(姿勢)が自由であった。
 3,コースにロープが引いてあった。

<Q3>今回のオリンピック(アテネ)は、第1回目のオリンピックの開催都   
 市でもあります。アテネ(ギリシャ)以外にもパリ(フランス)、ロンドン(イギリス)ともう一つ過去に2回開催された都市があります。それはどこだと思いますか。
 
 1,北京(中国)
 2,ロサンゼルス(アメリカ)
 3,東京(日本)

<Q4>日本人がはじめてオリンピックでメダルを取った競技は何だと思いますか。
 
 1,陸上(マラソン)
 2,テニス
 3,水泳

<Q5>オリンピックでは過去にいろいろな事が起きています。次の中で1つだけ正しくないものがあります。どれだと思いますか。
 
 1,マラソンの優勝者に、途中車に乗って時間をかせいだ人がいる。
 2,マラソンの優勝者に42.195kmを裸足で走った人がいる。
 3,マラソンの優勝者に漁師を職業にしていた人がいる。


5.実践を振り返って
 正直言って、消化不良に終わった実践であった。実践に取りかかった時期が遅かったこともあるが、夏休みまでにまとめることが出来ず、中間報告は夏休み明けとなった。子どもたちは、オリンピックをよく観戦したようだが、ほとんどニュース番組での結果のみ、それも決勝のみというのがほとんど。(これは仕方ない)
9月に入って中間報告。子どもの学習意欲を持続させることは容易でなかった。そのため、学習計画を変更し、2004年アテネオリンピックのハイライトや日本の女子陸上選手の先駆けとなった人見絹枝のビデオを見せた。
 今あるスポーツの発展が、先人たちの努力無しになかったこと、彼らが様々な偏見や中傷に立ち向かい道を開いてきたことなどを紹介し、これから先のスポーツもそのように発展していくだろうし、スポーツの世界だけでなく、社会が「ジェンダー」を乗り越え、人がその人らしく生きていける社会をつくるためには、みんな一人一人の「ジェンダーバイアスフリー」の意識が必要だと言うことでまとめた。子どもたちがそうしたことに自ら気づき、考えられるような授業展開はどのようにすれば出来たのだろうか?
 
 子どもたちに行ったアンケートの結果は、子どもたち自信が無意識にもつ「ジェンダーバイアス」を知る(自覚する)ことに有効であった。ここでの話し合いで、子どもたちは自分たちの先入観や偏見を他人から指摘された。子どもたちの中には「ジェンダー」について考えさせられ、社会(家庭、地域)にある矛盾に気づいたり、自分自身を振り返る機会となったものもいた。(資料)
 この段階でさらにつっこんだ授業展開も可能であり、「ジェンダー」について、話し合い、考える中で「男だから、女であるから」という性差で分けられるものが意外と少ないことに気づくことが出来るであろうし、自分らしく生きることの大切さや価値につなげることも出来たように思う。
 また、子どもたちは「オリンピックの話」の学習をとおして、オリンピックについて興味を持ち調べてみたいこともそれぞれが持っていた。オリンピックの歴史だけでなく、スポーツの歴史や記録、スポーツ選手の生き様など、知りたい、調べてみたいことがたくさんあった。しかし、この中から、教師側が子どもたちに考えさせたい「スポーツとジェンダー」についてのテーマを見つけさせることは、子どもたちの興味や意欲を下げるものになった。さらに、教師側の予備知識の少なさと収集できた資料があまりにも乏しかったことがにさらに拍車をかけたように思う。また、インターネット検索の難しさに直面し、遅々として学習が進まないグループもあった。
 「オリンピックにある男女のちがい」で参加者数について調べるグループでは、「参加国別で調べる」、「参加総数を調べる」、「時代別に調べ、比較する」どれも簡単には調べられなかった。資料が少なく、自分たちで一から資料をつくるという感覚で調べないと無理で、「パソコンで調べたら何とかなる」と思っている子どもたちには、あまりにもハードルが高すぎた。

 今後の課題について、今、自分が思うことは
①豊富な情報を事前に確保する。
②計画的に単元をすすめる。
③子どもたちへの調べ学習のスキル、「インターネットの利用」を事前に高めておく。
④「ジェンダー」についてもう少し時間を取って子どもたち同士で意見の交換をさせ、全員が「ジェンダー」についての認識を高めた上で、学習に望ませたい。
ということである。
 また、機会があれば是非とも実践にかけたいと思います。

【実践報告を受けて】

1.はじめに
 泉州ブロック研究の中間報告としての実践が報告されました。実践内容は「スポーツとジェンダー」です。今回、教材としてオリンピックが取り上げられています。今年はアテネオリンピックの年。子どもたちにとって情報をたやすく手に入れられる良い機会です。調べ学習などから夏季オリンピックの参加国数や参加人口、競技数などの変遷を通して、女性スポーツに対する偏見を克服してきた歴史的事実を理解し、スポーツとジェンダーについて考える機会にしたいということでした。
 今年、日本代表選手の男女比は、初めて女性が男性を上回ったという。

2.女性参加を拒む社会風潮
 スポーツにおける女性の歴史を見てみると、これまでの女性の歴史や女性の立場に対する考え方というものが色濃く反映されています。
 オリンピックで見ると、初期のオリンピックでは女性は参加できなかったそうです。オリンピック創始者クーベルタン男爵はたびたび、「女性の五輪参加に強く反対する。」と言っている。このクーベルタンの女性観は、当時の社会風潮を映しています。特に上流階級では、男性なら勇者とたたえられるところを、女性が汗を流し、肌を出し、肉体的に争うのははしたないという概念が強かったそうです。しかし、この概念もイギリス産業革命以降に始まった女性の選挙権獲得運動や、第一次世界大戦で、兵役にでた男性の代わりに、女性が男性的仕事に進出した事で、社会概念が大きく変わった。同時に国際オリンピック委員会の方針も変わった経緯があるそうです。

3.学ばせたい中味は
 ジェンダーフリーを考える時に、男女間で起こる差異が、肉体的な性差(セックス)に起因しているものなのか、ジェンダーバイアス(社会的文化的に作られた性差に対する偏見や先入観)によるものなのかを考えなければならないように、セックスを無視して考えることはできないということでした。スポーツの世界においても、セックスの違いが競技、種目、ルール、記録の取り方にあらわれています。子どもたちに、一般社会の縮図であるスポーツ界の中で存在している男女の差異を、セックスによるものか、ジェンダーバイアスによるものなのかを意識して考えさせたり、スポーツにおける女性の歴史や立場について考えさせることにより、多様な価値観の存在に気づき、固定的な男性観、女性観にとらわれないスポーツ観を学ばせたい。そして、『すべての人々のためのスポーツ』をめざした、これからの方向について考えさせたいということでした。

4.実践の落としどころは
 実践途中ということで、この実践のこれからということで論議をしました。何を教えたいのか、落としどころは、小学校段階でどういうことをわかればいいのかという論議でした。

どういうことをわかればいいのか
     ↓
偏見(ジェンダーバイアス)を克服して、女性がオリンピック競技に参加してきた経緯を知ること、気づくことができればいいのではないか。
(参加権利を獲得してきた経緯を知るということがわかりやすいと考えられる)
     ↓そのためには
オリンピックの初期・中期・現在の様子を調べる。そうすることにより、スポーツの世界もジェンダーフリーに向かっていることに気づく


 また、ジェンダーバイアス問題を把握するために、スポーツを素材に考えるのか、スポーツにあらわれてきたジェンダー問題について考えるのか。そのアプローチの仕方について、子どもたちの発達的な課題と合わせて学習展開することが必要で、ねらいをどう設定するかで、展開の仕方も変わってくるのではないかという議論もありました。

                            

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