「荒馬で大切にしたいこと」 −わしら同志会の体育実践−    


【荒馬で大切にしたいこと】

1.民舞教育の課題

出原氏と進藤氏の誌上論争冬大会(2002年12月)資料*

2.「民舞」という用語の若干の整理と「民舞」研究実践に対する舞踊プロの考え方
@民舞 民族舞踊 民俗舞踊
 民舞」は民族舞踊と民俗舞踊との両方の総称又は略でいいのでは。
A民族舞踊 中森孜郎氏  わらび座
 民俗舞踊 進藤氏 札幌民俗舞踊研究会B大阪舞踊プロは「民舞」を実践
 3つの理由
C進藤氏たちと「民舞」のとらえかたの違いは何か?
D「表現」を「発展」として

3.荒馬は学校でどう実践されたか
@手綱だけの荒馬
 学校現場の集団演技観
 運動量重視  衣装などつけないで、なるべくシンプル
       ↓
 荒馬の躍動的な部分(跳んだり跳ねたり)だけを切り取って、体力づくりや体操としての集団演技にしている。
      ↓
「学校民舞実践が民俗舞踊とは似て非なる『手具体操風』に仕上がっている」進藤氏

A馬ありの荒馬だが、ステップは手綱だけ
の荒馬と同じ
前田実践(ビデオ)   
ダンプ園長→保育士→前田←同志会北河内ブロック(手綱だけの荒馬)

B馬ありの荒馬
ダンプ園長の実技教室から学ぶ
大津実践(ビデオ)大原実践(ビデオ)

4.わらび座は、どう今別の荒馬を舞台用にアレンジしたのか。
わらび座(ビデオ)
今別の荒馬保存会(ビデオ)
わらび座が荒馬を全国に広めた。保存会の踊りに与えた影響は?

5.今別の荒馬の起源・歴史・文化
「いまべつ物語」より
 2003年4月3日青森県教育委員会から県無形民俗文化財に指定される。    

6.荒馬で大切にしたいこと
@教えたい動き
・伝統的な身体技法(進藤氏)か、あるとすればどんな動きか?
・すりあし ?
・一拍目にジャンプするのでなく足を踏み変えてからのジャンプ
・太鼓のリズムに合わせるのでなく、リズムにのること。
(今別では荒馬を踊ると言わず、馬にのると言う)
・くびのひねり? ・上半身のひねり
A動きの指導 
・ステップ重視から上半身の動きを大切にする。
B教えたい荒馬の文化
・荒馬の起源 荒馬祭りの歴史的な背景 馬と労働 生産者と馬の関係
C学校教育では 
・進藤氏は、学校での民舞指導のシステマティックの教授法を批判しながらも、学校教育の場で民舞指導するときの可能性を述べている。
「まず、民俗舞踊を創出した先人の正業、神観念、自然観、生活文化を明らかにしながら『なぜ、そのような身体行為を必要としたのか』をひもとき、さらに@労働を含めた日常の身体運動と民俗舞踊の動きの関係A音・囃し(口唱歌)と動きの関係B演じる場と動きの関係(空間構成)C衣装・履物と動きの関係D採り物・冠り物と動きの関係、などの観点からその特徴を抽出し、どのような身体感覚と動き方が意識されているか、身体技法を言説化する。そうした作業によって、民俗舞踊の教育内容を解明できるのではないかと考えている。」(進藤氏)

7.大阪支部舞踊プロは
@今別では男性が馬役、女性が手綱取りだが、学校では全員が馬役(男女の機会均等)
A総合学習としての取り組み 単に踊りだけを教えるのでなく、生活者の文化に視点を持ち、社会における文化的実践と繋がり、それを学校文化に取り込む。
B父母と共同した荒馬作り 
Cグループ学習 民舞でも他のスポーツ教材と同様に 「わかる」「できる」授業を行う。踊りの動きを分析したり総合したりしながら学習を進める。このような学習をするには、子どもたち自身が、動きを分析・総合でき、伝え合うことができる「動きの言語化」(子どもの発達段階に応じた)が必要。   

D保存会の踊りの伝授法を乗り越える学校の指導法の確立
 中野七頭舞や荒馬は、保存会が全国に 普及したのでなく、わらび座や学校教師 が広め、それがフィードバックして現地 でも見直されたのである。一時、現地で これらの踊りが衰退したということは、 伝統的な伝授方法も途絶えたのでは。わ らび座や学校の指導法が保存会のそれに 影響を与えたことはないのか?

8.荒馬は中学年の教育課程に位置づくか?
・躍動的で日本的なリズムで、民謡に代表 される日本の踊り観を揺るがす。
・中学年は馬あるいは馬の乗り手に同化できる発達段階では。
・教師が生演奏できる。
(太鼓、リコーダー) 
*今別の荒馬という一つの民俗舞踊が、学校教育を通してすべて子どもも共有でき普遍化できる可能性がある?なぜか?どんな動きが普遍化できるのか。
     
  出原氏 進藤氏
偏狭なナショナリズムへの警鐘 スポーツ史学会シンポ批判して。
「流行」としての「からだ」問題の議論では、「科学の道」を放棄する。一挙に精神世界に入り込み、いっそう「科学」を拒否する。「内」に閉じこもり、内面性を重視し、精神の世界に没頭する。偏狭なナショナリズムと融合する。
 同志会の「舞踊」や「民舞」の追求は時代や社会とつながっているか。「流行」に押し流されていないか。「からだ」問題のクローズアップもまた政策的である。その意図をしっかり見抜くこと、時代と社会とのつながりを把握しておくことが欠かせない。
「偏狭なナショナリズム」へと組み込まれることがない道を探る意味でも「民舞」という曖昧な呼称を用いず、「民俗舞踊」と呼んで教材化の対象を明確に「民俗」に内在する諸価値に目を向けるべきと主張し続けてきた。
 この時代に、民族が「偏狭なナショナリズム」に統合されることのない道があるとすれば、それは徹底して土着、すなわち民俗にこだわることではないかと思う。 
「からだ」の「うち」と「外」 「からだ」は技術の獲得によって、その能力を外に発揮する。踊りの「型」を習得することによって、はじめて「からだ」で表現できる。このような技術や「型」や「様式」は授業で「教える内容」になりうる。学んだことを子ども同士が伝え合うことができる。「からだ」の外に客観的に存在する技術や「型」を獲得することによって、子どもは「内」の世界を豊かにする。 歌や踊り、そしてスポーツは科学でない。自らの「からだ」を場として成立するパフォーマンスであり、日常の身体感覚とは異なる身体感覚を働かせて「感じる」ことなくして、それらを享受することはできない。「感じること」、すなわち「感覚の法則」を解明して、「闇雲、大雑把、無自覚」ではない「感覚・動き」を自己の身体に実現することこそ、他の教科に替えられない体育教育の独自の課題ではないだろうか。
舞踊のトランス状態 「無意識」と「非合理」の最高水準は、「神がかり」である。究極の「サリブリ」はトランス状態に到達するという。トランスとは「意識の変容による異常精神状態。しばしば興奮性の幻想・幻覚をともなう。シャーマン的職能者はこの状態で超自然的な状態と接触・交流するとされる。」(日本語辞典)ということだ。踊り狂うトランスは「恍惚と興奮」と同時に「自己忘却」があり、一挙に社会関係とは切断される。 逆に悪魔払いでのトランス状態は、出原氏がいうように「社会的関係とは切断される」ものでも「死に向う」のでもなく、家族や共同体の温かい眼差しの中に向うものとして位置づけられている。悪魔払いの儀礼行為では、舞踊の機能がそのように自覚されている。「神がかり」や「トランス状態」を歴史と社会的文脈の中でとらえなければ、その意味することを正確に読み取ることはできない。
学校における民舞教育について ソーラン節の表現形式や技術には独自で固有の労働形態や地域性や社会性が反映されている。このことの「教材研究」を抜きにして「子どもが感動するということだけでこれを取り上げるのは危険。これらの「教材研究」をしないのなら即刻私たちは民舞指導から撤退すべきである。今日の教師と学校に対する管理・統制の異常な強化の実態を考えるなら、これらの実践の成果が「日本人のこころ」や「愛国心」と結合させられることは目に見えている。偏狭なナショナリズムを拡大する材料に使われることは自明である。 伝統的な芸道の教授方とは異なる学校的枠組みにおけるシスティマティックな教授法が採用されることにより、民俗舞踊の質が改変するという問題がある。
 舞踊だけを切り取って上手くなることだけが求められ効率的な指導がめざされると民俗舞踊とは言いがたい仕上がりになる。
 民俗芸能は通常は一年かけて、あるいは数年数十年をかけて作り上げていくという手間暇かけた所産であることに謙虚に学ぶことが必要である。こうした時間軸は現在の学校教育になじまないというのであれば、民俗舞踊を教材化することはあきらめねばならない。

【これからの民舞教育】    

1.民舞教育への警鐘
 かつて、学校教育は、明治以降の「西欧
に追いつけ追い越せ」という近代化政策によって、日本の民衆の文化や伝統文化を軽視してきた。しかし、こうした「お上」の教育政策にもかかわらず、一九六八年に民族歌舞団わらび座において、第一回民族舞踊を学ぶ会が開かれた。掲げた集会のテーマは「日本の子どもに日本の踊りを」。その後、民舞教育の研究・実践が続けられるなか、実践の輪が広がり日本の多くの学校で民舞が取り入れられてきた。今や民舞は、特に日本各地の運動会では欠かせないものになっている。
しかし、現在、教育基本法改悪の動きがある。キーワードは「愛国心」「日本の伝統文化の尊重」。結局は偏狭なナショナリズムで、日本が他国に競い勝つまでひたすら尽くす「人材」を育成するのがねらいであろう。実際、今では「お上」の方から伝統文化を学校教育に取り入れようとする動きが強まってきている。また、世間では時として日本語ブーム、伝統文化ブームである。これらのブームも政策的なものと考えられる。
このような複雑な状況のもとでは、伝統文化や民舞を無条件に学校教育に取り入れるのには問題がある。これには、研究者からも警鐘の声が上がっている。
 「ソーラン節の表現形式や技術には独自で固有の労働形態や地域性や社会性が反映されている。このことの『教材研究』を抜きにして『子どもが感動する』ということだけでこれを取り上げるのは危険。これらの『教材研究』をしないのなら、即刻私たちは民舞指導から撤退すべきである。今日の教師と学校に対する管理・統制の異常な強化の実態を考えるなら、これらの実践の成果が『日本人のこころ』や『愛国心』と結合させられることは目に見えている。偏狭なナショナリズムを拡大する材料に使われることは自明である。」
(出原氏・運動文化研究21)
「伝統的な芸道の教授方とは異なる学校的枠組みにおけるシスティマティックな教授法が採用されることにより、民俗舞踊の質が改変するという問題がある。舞踊だけを切り取って上手くなることだけが求められ効率的な指導がめざされると民俗舞踊とは言いがたい仕上がりになる。
民俗芸能は通常は一年かけて、あるいは数年数十年をかけて作り上げていくという手間暇かけた所産であることに謙虚に学ぶことが必要である。こうした時間軸は現在の学校教育になじまないというのであれば、民俗舞踊を教材化することはあきらめねばならない。」
(進藤氏・運動文化研究21)
今ほど、なぜ民舞なのか、民舞教育の実践上の原則は何なのかについての検討と明確な理論の構築が迫られているときはない。

2.民舞とは?
 民舞という言葉は、学校現場では一般的になっているが、民舞という言葉は辞書に載っていない。造語といっていいだろう。はっきりしているのは、民舞は民族舞踊の略か民俗舞踊の略かということだ。どちらの略かとなると研究者の間でも意見の分かれるところだが、ひとまず、民舞はどちらの略にでも使用することにしたい。つまり、民舞という言葉は、民族舞踊と民俗舞踊の総称とする。
 次に、民族舞踊と民俗舞踊を分けて考える必要がある。前者の民族舞踊という言葉は、前述した1968年の「第一回民族舞踊を学ぶ会」で使用されている。この集会は、明治以降のお上の伝統文化軽視政策に対抗し「日本の子どもに日本の踊りを」をテーマに掲げ開催された。この集会の開催は、わが国の舞踊教育の歴史において画期的な意味をもつものであった。このとき、参加者の一人、中森孜郎氏は集会名の「みんぞく」をどう表記するか考えた末、以下のように結論づけた。
「全国各地に伝えられる民衆の生活に根ざして生まれた舞踊は、正しくは民俗舞踊、もしくは郷土舞踊と呼ぶべきものである。しかし、私たちはあえて民族舞踊を選び掲げた。それには、すでにわらび座が民族歌舞団と名乗って、日本の民族歌舞の再創造をめざしていたこともあったが、それとともに各地のすぐれた郷土舞踊を、その地域だけのものとして保守的閉鎖的に伝えていくのではなく、日本の子ども達の共有の文化、彼らの成長の糧にしていきたいという、壮大な希望と目標を抱いての出発という意味合いがこめられていた。」
 このような捉え方をするならば、民族舞踊は、わらび座が再創造した踊りや現代の創作・改変も加わっている舞踊などの「創作民舞」、そして、それらの延長線上にあって学校教育用に改変・再構成した「学校民舞」も含まれるのではないだろうか。具体的には、わらび座のソーラン節、御神楽、沖縄の創作エイサー、南中ソーランなどが挙げられる。
 一方、民俗舞踊はどうだろうか。札幌民俗舞踊研究会では、次のように民俗舞踊を捉えている。
(1)舞台用として、その動き、形を改変していないもの。
(2)地元で伝承され、踊られている、あるいは踊られてきたもの。
(3)生の御囃子や歌、手拍子で踊られるもの。
(4)民俗芸能に共通する動きの質、身体技法の質をもったもの。
 そして具体的にはアイヌ舞踊、今別荒馬、大森御神楽、はねこ、黒川さんさ踊りなどを挙げている。
 札幌民俗舞踊教育研究会や全国の同志会舞踊分科会では、研究実践の対象を民俗舞踊に絞っている。それは進藤貴美子氏(北海道教育大)の論によるところが大きいようだ。
氏は、学校民舞実践が民俗舞踊とは似て非なる「手具体操風」に仕上がっているとして、民俗舞踊の持つ「最小のエネルギーで最大の効果をあげる」身体技法の重要性を訴えている。そして、民俗舞踊を習うことは「失われた身体文化」を取り戻していくことにつながるとしている。また、民族舞踊という言葉に対しても、アイヌ舞踊の教材としての価値を例に出しながら「国家とか国家語という概念を超えて日本列島に限定せず、それぞれの地域で育まれてきた舞踊文化の共通性と独自性を探るという可能性も広がる。」さらに「『偏狭なナショナリズム』へと組み込まれることがない道を探る意味でも『民舞』という曖昧な呼称を用いず、『民俗舞踊』と呼んで教材化の対象を明確に『民俗』に内在する諸価値に目を向けるべき」、「この時代に、民族が『偏狭なナショナリズム』に統合されることのない道があるとすれば、それは徹底して土着、すなわち民俗にこだわることではないかと思う。」と同志会全体に教材化の対象を民俗舞踊に限定しようと提案している。

3.大阪支部では
 しかし、大阪支部では、現地で踊り継がれている踊り(民俗舞踊)だけでなく、プロの舞踊家(集団)が再構成した作品(民族舞踊)も取り上げ実践している。つまり民舞全体を研究実践の対象としている。
 その理由の一つは、同志会は運動文化の継承・発展を研究実践の課題と掲げ、民舞も例外ではないと考えるからである。「継承」という観点だけなら民俗舞踊に絞られるかもしれないが、「発展」をどう捉えるかを考えるなら、再構成された民族舞踊も視野に入れた研究実践が必要になってくる。たとえ創作された民族舞踊が「発展」した形でないとしても、それは時代を反映したものであり、その中に高い芸術性があり、それが人々の心を惹き付けるのであれば無視できない。
 二つ目は、民舞を表現活動として捉えるからである。民俗舞踊は、もともと表現活動というより自分達が楽しむために踊られてきた。しかし時代の変化とともに民俗舞踊の中には、芸術表現として鑑賞されてきたものも出てきている。その延長線上でより明確に観賞用として発展させたのが民族舞踊であろう。私たちは、観る人に訴える力ある踊りや表現しがいのある踊りを取り上げていきたいし、そういう民俗舞踊や民族舞踊を研究実践の対象にしたいと思っている。
 三つ目は、私たちの舞踊教育は学校教育の範囲で行われる。学校教育では、年間数時間という限られた条件も考慮に入れなければならないし、日本の子どもならみんなが共有でき普遍化できる踊りが必要と思うからである。

4.違いは何なのか?
 民俗舞踊を研究対象に絞っている人たちと私達(大阪支部やその他わらび座の踊りや創作エイサーを取り上げ実践している人一般)との大きな違いはいったい何なのだろうか。それは、民舞を学ぶ価値を「からだ」ととらえているか、それとも「表現」とみているかである。
 札幌民舞研は、HP上で「民俗舞踊は、この『最小のエネルギーで、最大の効果をあげる』身体技法があってこそ民俗舞踊といえるのではないか。そしてその身体技法を学ぶ、習得することにこそ民俗舞踊を学ぶ意味があるのではないか」、「民舞を学ぶ価値はからだで、その答えはやはり『からだの使い方』にあるのだと思っている。民舞における『からだの使い方』を学ぶことにこそ、他のダンスを学ぶのとは違う『民舞を学ぶ価値』がある。」と主張している。
 一方、私達の実践は、
@運動会、学習発表会の演技として
A学級文化活動、学級づくりの手段として
B体育の表現として
 が、ほとんどである。「からだ」と意識するというより「表現活動」として取り組まれるほうが多いようだ。たとえ「からだ」を学ぶことをねらったとしても、わらび座のソーラン節や創作エイサーなどの民族舞踊を取り上げれば、それらの身体の使い方は、日本の伝統的な身体技法でなく芸術表現のために加工した身体技法であって、民俗舞踊の「からだ」を意識させた実践とは違ったものになる。また、こうした民族舞踊の身体技法は常に見せることを意識して加工されてきたと言ってもいいので、それを教材に取り上げること自体、「表現」を意識している。
 大阪支部舞踊プロジェクトでは、民舞が信仰の対象や自分たちだけの楽しみから、鑑賞される、また観る人のための踊りになってきたことで、見せるための「表現」を民舞の「発展」のひとつの形だろうと考えてきた。しかし、これは、まだ思いつきの段階で今後検討が必要である。

5.民俗舞踊「今別の荒馬」について
 大阪支部舞踊プロジェクトの研究実践対象は民舞全体と言いつつ、民俗舞踊についてはまったく手付かずの状態であった。しかし、このほど6月に東京で行われた第一回荒馬サミットに参加し、民俗舞踊「今別の荒馬」の研究・実践を手がけていく契機を得た。
この今別の荒馬は、2004年4月3日、青森県無形民俗文化財に指定された。「いまべつ物語」によると、この踊りの「正確な創始年代は不明であるが、藩政時代から田植えが終わった後に、農民が加護と感謝のために催したサナブリの行事であったといわれる。由来譚として、天正13年(1585年)ごろ、大浦為信が藩の経済を保つため、馬と農耕を結ぶ付け農作物の増収を図ったことに起因しているという伝承が残っている。」
 今別町という一つの地域の民俗舞踊が全国的に有名になったのは、先の中森孜郎氏(元宮城教育大学教授)と民族歌舞団わらび座の功績が大きい。教育的に加工された手綱だけで踊る荒馬は、全国各地の学校で踊られ「学校民舞」として定着している。また、保護者と共同して馬をつくり、現地に近い踊りを目指している取り組みもふえてきた。
 この分科会では、この今別の荒馬は、どのように学校現場で実践されてきたかをていねいに追いながら、荒馬で教えたい内容を整理したい。そして、今別の荒馬という一地域の民俗舞踊が、学校教育を通してすべての子どもが共有し普遍化できるのか、その可能性を探っていきたいと考える。(プレ奈良全国大会提案集より)   

【研究報告を受けて】
 運動会でお馴染みの「荒馬」。今回の報告会では、「今別の荒馬」を取り上げ、何を大切に荒馬を指導すればよいかを討議し合った。参加者にとっては、「よく分からない。」というのが率直な感想だと思うがが、これまでの実践経験や豊富な知恵で、活発な論議が繰り広げられた。報告者の前田氏は、以前耳にした「荒馬を使い捨てにしていないか。」という言葉が強烈な印象として残っていると語り、「目の前にいる子どもたちに豊かな運動体験を」という強い思いを込めた報告だったように感じた。

1.民舞教育の課題
 出原氏と進藤氏は、民舞教育についての捉え方は違うものの、共通して、流行に押し流されてはいけないと言う。民舞指導が、「日本人の心」や「愛国心」と結合させられないためにも、長い年月を手間隙かけて築きあげられた民俗芸能の所産を、謙虚に学ぶことが必要であると力説している。
 そこで、これまで以上に、伝統文化を無条件で学校教育に取り上げるには問題があり、実践上の原則は何かについて検討する必要に迫られている。

2.これまでの実践から
 私たちの実践は、@運動会、学習発表会の演技として、A学級文化活動、学級づくりの手段として、B体育の表現として、取り上げていることがほとんどだ。
 参加者の実践経験から、荒馬のよさは、「個人の表現にとどまらず、仲間との一体感がもてる」や「躍動感があり、子どもたちにとってもおもしろい」、「子どもたちも大好きになった」など、教育的な効果を挙げている。
それでは、「荒馬」で、何を教え、何を大切にすればよいかというところで、前田氏は、次のように語った。
過去によく見られた「手綱だけの荒馬」は、運動量重視の観点から、躍動的な部分だけを取り上げ、跳んだり跳ねたりする集団演技になっていた。これを進藤氏は、「学校民舞実践が民俗舞踊とは似て非なる『手具体操風』に仕上がっている」と批判する。
前田氏もこのような実践をしていたと自己反省を含めて語った。前田氏は、ダンプ園長の実践ビデオや大津実践、大原実践の「馬ありの荒馬」ビデオを解析し、「手綱だけの荒馬」との違いと「教えたい動き」を見出した。
それが、ステップだ。「馬ありの荒馬」のステップは、踏み込む動きがありその後に跳ぶ動作がくる。つまり、上肢の動きを大切にし体重移動を意識している。これによく似た動きとして、御神楽の「わたり」の動きがある。日本の身体的技法の特徴であり、「なんばぶり」と呼ばれている。この動きこそ、荒馬らしさではないだろうかと、前田氏は分析した。

3.「荒馬」で大切にしたいこと
 民舞は、労働によって培われた動きを基本にしている。荒馬も同様で、荒馬を通して、日本の伝統的な身体技法を学ぶことのできる、優れた教材ということができよう。
 そして、太鼓のリズムに合わせるのではなく、太鼓のリズムにのって踊ることで、子どもたちは、荒馬の魅力に惹かれ、生き生きと荒馬を創り上げていくのではないだろうか。
 これまでの「手綱だけの荒馬」は、体の動きで大きく見せたり、激しく見せたりする、「表現」を重視したものであり、「馬ありの荒馬」とは、全く別の動きである。「手綱だけの荒馬」が悪いのではなく、その違いを知った上で、実践をしていきたいと前田氏はつけ加えた。
 中森教授(宮教大)は、今別の荒馬について、「動きは単純だが、奥の深さがある。躍動感のイメージが強いが、実際に見てみると柔らかさがある。馬と人が調和していなければならず、内容に深いものがある。」と分析する。さらに、その教育効果について、「力強いリズムの中で踊ると、子供のイメージが発展し、豊かな表現力が養われる。文化に生命力があるから、子供たちは生き生きとよみがえる。また、一緒に踊ることによって連帯感が強まる。いま、子供は孤独だとか、いじめがある、といわれるが、一緒に踊ることで人間として認め合い、相手を尊重することを体験できる。一方、障害児にもとても喜ばれる。荒馬を踊る中で、機能を精いっぱい使い、生き生きと自己表現できる」と力説している。
 これから始まる数多く開かれる民舞教室から、一つでも多くの「大切なもの」を学び、子どもたちにかえしていけたらと考えている。

<参加者の感想から>
☆馬を作っての荒馬を一度やりたいなと思いながら、学年、学校の理解が得られず、できなかったのですが、今日の話し合いを元に、また機会があれば働きかけたいなと思いました。身体技法というのは、なぜそれが必要とされるか分かりません。子どもたちが感じる、「日本的なもの」(この表現が良いかどうかわかりませんが)も、もっと子どもたちに取材しながら分析してみる必要があると思いました。

☆昨年から荒馬に取り組んで、すっかり荒馬にはまってしまったのですが、今日もより深く荒馬のことを分かって大変有意義な時間を持てました。いろんな荒馬をビデオで見たり、皆さんの意見を聞くことで、荒馬がより好きになりました。

☆荒馬は2回ほど見たことがありますが、馬ありのものしか見たことがなく、手綱だけの荒馬の時代があったと聞いて驚きました。馬があると動きが少し難しくなるかもしれませんが、絶対馬はあったほうがいいと思います。民舞は見ててもやってても楽しと思います。これからいろんな民舞を知りたいと思います。

☆荒馬で大切にしたいことは、躍動感であるが、その表現として、はねさせることばかり、気がいってました。しかし、踏み込みという表現の技術を使うことで、もっと馬の動きを引き出す躍動感が得られることを知りそれは収穫でした。

☆民舞については、実技はあったがこうして座学できちんと学んだことは、初めてなような気がする。同志会では、表看板のような役割を果たす民舞について、少しでも議論できたのはとてもよかったと思う。この例会のために東京まで「荒馬サミット」への参加ご苦労さまでした。個人的には「ふみかえ」のステップが、首ふりの動作を可能にしていることが認識できた。

☆同志会のメンバーは、「なぜ運動会で民舞をするのか?」「教える中身はあるのかないのか?」「民舞は体育から切り離して考えた方がよいのか?」−いろいろ言われるが、やはりこの時期になると、今年は何にしようかと考えはじめる。これは一体何なのか?出原氏、進藤氏論争のまとめはとてもわかりやすく、資料として勝ちがある。論議の中で、手綱で踏みかえの荒馬も教えることができると言う意見には賛成できません。

                            

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