T.泳ぎの歴史
1.「泳ぐスポーツ」とは
これからは、泳ぐスポーツ、水泳の話をします。現在はさまざまな水に関係したスポーツがあります。ヨット、スキューバーダイビングなどたくさんありますが、水のスポーツも、「泳ぐ」ことに関係するものと、そうでないものに関係するスポーツとに大きく分かれます。
では、ここで問題です。
(Q1)オリンピックで、「泳ぐスポーツ」といえば、いくつあるでしょうか。
@2こ
A4こ
B6こ
C10こ
【正解A】
それは、競泳、シンクロナイズドスイミング、水球、飛び込みの4つです。これらのスポーツには、それぞれ今の形になるまでの歴史があります。昔からずっと今の形であったわけではないのです。
2.泳ぎの始まり
「泳ぐこと」は、この世に人間が現れて以来、生活と深く結びついてきました。
(Q2)どのようなことから泳ぎは始まったのでしょうか。
@赤道近くのアフリカの国では、あつさにたえかねて水で体を冷やした。
A今のアメリカに住むインディアン部族の子どもが、あやまって海に落ち、助けようとした母親が海に飛び込んで泳いだ。
B川に泳ぐ魚を見た台湾のヤミ族の少年が、魚のまねをしようと川に入って泳いだ。
C海にかこまれたソロモン諸島では、けものがいなくなって、海の貝や魚をとって食べることしかなく、海にもぐることにした。
【正解C】
人間は、食べ物をとるためには、水泳が必要だったのでした。
3.はじめのころの泳ぎとは
(Q3)このころは、どのような泳ぎをしていたでしょう。
@平泳ぎのような泳ぎ
A背泳ぎのような泳ぎ
Bイルカのような泳ぎ
Cクロールのような泳ぎ
【正解@】
一番古くから泳がれていた泳ぎは、平泳ぎです。クロールについても、泳いでいた可能性は高いと考えられますが、今のような形のクロールではなかったようです。下の絵は、紀元前のエジプトでかかれた壁画です。この絵に残されているように,海や川を渡るのにクロール型の泳ぎをしたと考えれられています。しかし、
片手に皮のふくろや、板切れなどをもって、片手でかいたと言われます。このほか、戦争で川などを渡るために、水泳が行われていたようです。
4.「湯屋」とは
時代がぐんと過ぎて中世のころ、1000年ごろになると、湯屋(ゆや)と呼ばれる、体をあらう施設が作られるようになります。お金持ちや身分の高い人々は、庭に大きな浴槽を作り、水浴や水泳をし、そこで音楽をえんそうして楽しんでいました。でも、16世紀ごろになると、湯屋は禁止され、追放されてしまいます。では、ここで問題です。
(Q4)湯屋はどうして禁止され、追放されたのでしょうか。
@庭に大きな浴そうを持つのは、ぜいたくだという理由で。
A浴そうに多くの水を使い、水が不足して人々がこまったから。
B男女がまるはだかで水泳をしていたので、不健全だったから。
【正解B】
男女がはだかで水浴や水泳を楽しむのは、不健全だというキリスト教の教会が禁止したり、悪い病気もはやったので、湯屋が禁止されました。
しかし、18〜19世紀初めに、ヨーロッパではふたたび水泳場が登場し、社交場として使われました。それは、水浴や水泳が体によいと見直されるようになったことや、体づくりのためや海や川での安全のために必要だという人が出てきたからでした。
こうして社交場としてつくられた水泳場には、当時3つの種類がありました。
温浴場・・・・今の温泉のようなもの
水浴場・・・・川にくいをうってテントをはったもの
水泳学校・・泳ぎについて教えるコーチがついた学校
このころから、水泳はようやく水浴からはなれ、泳ぐことを目的にしたものになっていきました。しかし、水泳=泳ぐことを目的にしたからと言って、すぐに水泳競技が行われたのではありませんでした。
5.プール
(Q5)水泳が競技として行われるようになるのに、大きな役割をはたしたのは、何だったのでしょうか。
@泳ぎやすい水着が作られていったこと。
A川をせきとめただけのプールから、今のようなプールが作られたこと。
B何秒で泳いだかをはかるための時計が作られたこと。
【正解A】
初めのころは、川をせきとめてまわりをあみでかこっただけのものでした。あみがきれて、泳いでいる人が流れてしまうと言った事故も少なくなかったようです。1832年、ドイツで川の流れを完全にせき止めたプールが作られました。それ以来、各地でプールが作られ、室内プールも作られるようになったのでした。
プールの、長さ、幅、深さなどが統一されて、水泳は速さを競うスポーツとして発展していくのでした。
U.「競泳の歴史」
6.泳法について
(Q1)オリンピックで泳がれている泳ぎ方は、何種類あるでしょうか?
@1つ
A4つ
B5つ
C6つ
【正解A】
自由形、平泳ぎ、バタフライ、背泳ぎの4つです。クロールは種目としてはないのです。
7.初めての水泳大会
競泳は、初めのうちは川で行われていました。大きさの決まったプールが作られると、水泳大会がさかんに開かれるようになります。
(Q2)世界で初めて競技会が開かれた国はどこでしょう。
@イギリス
Aアメリカ
Bロシア
C日本
Dインド
【正解@】
1837年に初めての大会が、イギリスのロンドン、ハイドパークのサーペンティン川で開かれました。勝った人には、金とメダルをあたえたそうです。水泳にかぎらず、今あるスポーツの多くは、イギリスでつくり出されたものが多いのです。サッカー、ラグビー、陸上競技、テニス、ゴルフなど。
8.はじめの頃の種目数は
(Q3)では、水泳競技会がはじまったころの種目は、いくつあったでしょうか。
@1つ
A3つ
B4つ
C5つ
【正解@】
そのころは、自由形。つまりどんな泳ぎ方でもいいから、とにかく決められた距離をはやく泳いだ人が勝ちとなったのです。
9.自由形の泳ぎとは
(Q4)では、その自由形で泳がれていた泳ぎとは、どんな型の泳ぎ方だったでしょうか。
@背泳ぎ
Aバタフライ
Bクロール
C平泳ぎ
【正解C】
当時の人は、ほとんどがカエル足で両手を同時にかく泳ぎ方でした。中には、あおり足の人もいました。あおり足ははさみ足ともいわれ、体が横向きの泳ぎ、横泳ぎなども、このころには泳がれていました。
10.ちがう形の泳ぎとは
1873年にちがう形の泳ぎがあらわれました。それまでは、平泳ぎや平泳ぎを少し変えた横泳ぎなどで泳がれていたのです。
(Q5)1873年にあらわれたちがう形の泳ぎとは、今の何の泳ぎに近いものだったのでしょうか。
@背泳ぎ
Aバタフライ
Bクロール
【正解B】
実は、クロールは平泳ぎを改良してつくられた泳ぎなのです。では、平泳ぎから、どのようにしてクロールができたのかをお話ししましょう。
1873年にあらわれた泳ぎとは、「はさみ足、片抜き手」の泳ぎでした。横泳ぎと言います。片抜き手とは、水中でかいた手を、空気中でもどすかき方です。この形で泳いだ人が、それまでの形で泳いだだれよりも速く泳いだのです。
これより少し前、J・アスール・トラジオンという人は、南アメリカへ旅をしているときに、原住民の泳ぎ、両方のうでの抜き手のかきに目をつけました。そして、1871年に、「トラジオン泳法」という泳ぎを完成させました。これは、手を片手ずつかき、両手とも水上から前に返します。キックは、はさみ足(足の甲で水をはさむようにうつ)を使いました。それ以来、7年間、1878年までは、「トラジオン泳法」は速く泳ぐ泳ぎとして、人々から注目されたのでした。
11.「トラジオン泳法」より速い泳ぎとは
1878年、「トラジオン泳法」を上回る速い泳ぎ方が生み出されました。では、問題です。
(Q6)新しい泳ぎ方とは、「トラジオン泳法」の何を改良したのでしょうか?
@体をもっと水平にして泳ぐ。
Aうでのかきをもっと深くする。
Bいきつぎの回数をできるだけへらす。
Cはさみ足をやめて、のばしてキックする。
【正解C】
トラジオン泳法は、両足を大きく開くために、前からの水の抵抗が大きかったのです。そこで、オーストラリアのフレデリック・キャヴィルは両足を開かずにのばしきって打てないかと考え、いわゆる「バタ足」を考え出したのでした。
12.クロールと呼ばれる由来
こうして考え出された泳ぎは、クロールとよばれたのですが、では、問題です。
(Q7)「クロール」とは、どんな意味からつけられたのでしょうか。
@当時、進むのが速かった「潜水艦クロール」から名前からつけられた。
Aうでをまわすようすが、子どもが「だだをこねる」ときににているので、そこから、この名前がつけられた。
B水面を「はう」ように泳ぐことから、この名前がつけられた。
Cうでをふりまわしてつかれるので、「苦労する泳ぎ」ということからクロールという名前がついた。
【正解B】
水面をはう泳ぎということで、この名前がつきました。当時は、もうすでに、自由形ではクロールで泳ぐ人がほとんどでした。そこで、1903年には、もとの泳ぎを、平泳ぎとして、クロールとは別の泳ぎとして独立させたのです。この時、平泳ぎは、「両手を同時にかき、うで、かた、足は左右対称、足はカエル足にする」と決められました。
13.平泳ぎの改良
1903年に平泳ぎは、「両手を同時にかき、うで、かた、足は左右対称、足はカエル足にする」と決められていたので、人々はこの条件の中で速く泳ぐ方法はないものかと考えるようになりました。そして、ここからまた新しい泳ぎが考え出されるようになったのでした。その新しい泳ぎは、バタフライにつながります。そこで問題です。
(Q8)平泳ぎのきまりを変えずに、当時の人々は、速い泳ぎ方を考えようとしました。まず、平泳ぎのどこを変えようとしたのでしょうか。
@うでのかき
A足のキック
Bいきつぎの仕方
C体のうねり
【正解@】
平泳ぎの手をかいたあと、水中でもどすのは、水の抵抗が大きいとして、水面上に出してもどしたのが始まりでした。ですから、水面上で手はもどしても、足はカエル足、つまり、バタフタイ式平泳ぎだったのです。これを平泳ぎとみとめるかどうか、当時の水泳連盟では意見が対立したようですが、1936年には、平泳ぎとしてみとめられました。
14.バタフライ式平泳ぎの欠点とは
新しい泳ぎ方である、バタフライ式平泳ぎが考え出されたのですが、人々には広まりませんでした。と言うのも、この泳ぎにはある欠点があったからです。
(Q9)欠点とは、いったい何だったのでしょう。
@力が必要で、長続きしなかった。
A体の上下がはげしく、スピードが出なかった。
B手のかきと、カエル足を合わせるのがむずかしかった。
【正解@】
スピードは、平泳ぎよりも出るものの、とても力のいる泳ぎ方で、長い距離をおよぐのには適していませんでした。そこで、1935年にカエル足の改良が考えられ、両足をそろえてキックするドルフィンキックが生まれたのでした。初めは、体を横にしてキックするというもので、すぐには、手のかきとはつながりませんでした。現在のように手とキックがむすびつき、ドルフィンキックが認められて、バタフライとして、正式種目になったのは、1953年のことでした。
1933年にかいた手を水面上でもどす泳ぎをしてから、実に20年間、平泳ぎという種目の中で、平泳ぎとバタフライ式平泳ぎが泳がれていたのでした。今ではとても考えられないことですね。みんなは、どう思いますか。
15.ドルフィンキック
1952年のヘルシンキ・オリンピック大会では、200メートル平泳ぎ決勝出場者全員が、バタフライ式平泳ぎ(手はバタフライ、キックはカエル足)でした。
(Q10)カエル足キックから、やがて、ドルフィンキックになってバタフライが生まれるわけですが、では、ドルフィンキックは、どのようにして生まれたのでしょうか。
@アメリカのスポーツ運動学者、アームブルスターがイルカの尾びれの動く様子を観察し、これをバタフライ式平泳ぎに採用した。
Aアメリカの水泳選手ジーグは、潜水用の足ひれにヒントを得て、両足でキックする方法を考え出した。
B日本人選手、長沢二郎選手は、大会で痛めたひざをかばいながら、バタフライ式平泳ぎで泳いでいるうちに、両足で打つキックを考え出した。
【正解B】
ドルフィンキックを考え出したのは、日本人選手だったのです。ヘルシンキオリンピック後、改良を加えて、ドルフィンキック式バタフライを考え出したのです。長沢選手は、このバタフライによって、当時の200m平泳ぎの世界記録を、5.8秒,1956年には、さらに3.4秒ちぢめています。
16.潜水泳法
バタフライが、1953年にできてから、平泳ぎのきまりの中に、「かいた手は、水中でもどす。」ということがつけ加えられました。さらに、1959年には、新しいルールができ、今の平泳ぎになります。では、問題です。
(Q11)1959年に決められたルールとは、何でしょう。
@ターンやタッチは、両手でする。
A潜水してはいけない。
B手のかきで、両腕の角度が90度以上開いてはいけない。
【正解A】
飛び込んで息が続くところまで潜水して泳ぎ、いきつぎをして、またもぐって泳ぐという「潜水泳法」で泳ぐ人が出てきました。ルールにも違反しておらず、水の中を進むので、とても速く泳げたのでした。しかし、この泳ぎは観客にとっては、どこで泳いでいるのかわからず、また、潜水泳法で無理をして泳ぐ選手も出てきたので、「1かき1けりまでしかもぐってはいけない」という新しいきまりができ、潜水泳法は禁止となったのでした。
この後、細かいルールの変更はありますが、ほぼ、今の泳ぎが続けられています。
17.背泳ぎ
最後は、背泳ぎの問題です。背泳ぎは、呼吸がいつでもできることから、古くから泳がれていたと考えられます。ヨーロッパでは、人命救助の泳ぎとして、背泳ぎがあったようです。
(Q12)当時の背泳ぎは今の泳ぎ方とはちがっていました。さて、どこがどうちがっていたのでしょう。
@体を水中に立てて泳いだ。
Aキックがカエル足だった。
B手はかかなかった
C大の字になって、海の上で浮かんだ。
【正解A】
当時の泳ぎは、足はカエル足、うでは、体の横から下にかきおろす(エレメンタリーバックストローク)か、頭の上から下にかきおろす(ダブルオーバーバックストローク)やり方でした。この方法で、片手で人をかかえて、片手で水をかき、おぼれた人などを運ぶのに役だったのでした。
1902年、フランスのホルベインが、エレメンタリーバックストロークでドーバー海峡を泳いだことから、長い距離を泳ぐ泳ぎ方としても注目されるようになります。その後、クロールのえいきょうを受けて、背泳ぎでも腕を交互にかくようになりました。そして、足も交互にバタ足で打つようになりました。